りぼんの読書ノート

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卍どもえ(辻原登)

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社会的に成功した2組の中年夫婦が転落していったきっかけは、ネイルサロンでの隠微なささやきでした。青山にデザイン事務所を構える瓜生甫の妻ちづるは、年下のネイリスト可奈子に誘われて女性同士の性的な関係を結びます。さらに瓜生と旧知でフィリピンと日本で英会話学校を経営する中子脩の妻毬子を誘って、3人でのプレイを楽しむようになるのです。しかし彼女たちの間に漂い始めた4人目の女性の不思議な気配とは、いったい何だったのでしょう。それは破滅への予兆なのでしょうか。

 

かなりミステリアスな女性たちの関係と対照的に、はじめから倫理観が欠落している男たちの転落劇はストレートです。瓜生は部下の裏切りによって盗作疑惑をかけられて失脚し、鬱状態に陥ります。極悪フィリッピーナと関係を持った中子には、より悲惨な末路が待っているようです。

 

このようなメインストーリーだけでも十分に楽しめるのですが、本書の魅力はそれだけではありません。登場人物たちの複雑な個人史は、日航機墜落やオウム真理教などの現代の事件のみならず、日中戦争から中国内戦や日本の戦後復興へと続く闇歴史と直接・間接に関わっており、虚実の境界が揺らいでくるようです。さらに谷崎潤一郎の『卍』をはじめ、吉屋信子花物語』や、宮本百合子湯浅芳子の関係を描いた沢部ひとみのノンフィクションへの言及など、文学作品への言及も蘊蓄のレベルを超えています。『フライドグリーントマト』は原作も読んだのですが、ニニーとイジーの同性愛関係には気づきませんでした。

 

先に読んだ同じ著者の『Yの木』には、構想は素晴らしいのにデテイルが拙劣であるために大成できなかった作家が登場します。優れた文学作品の楽しみがデテイルにあることを知り抜いている著者による、読者の知的好奇心を四方八方に広げてくれる力作でした。

 

2021/12