りぼんの読書ノート

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鏡影劇場(逢坂剛)

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何重もの入れ子構造を持つ作品ですが、そのほとんどの部分が19世紀の文豪ホフマンの知られざる半生を描いた手記と、それを入手して解読を試みる日本人たちの物語にあてられています。そしてその物語の書き手の存在を謎に包んでしまう「偽作のあとがき」と、その全てを逢坂剛の識語と跋語で包み直すという構成です。謎めいた書き手による、信用ならざる語り手の物語とでもいっておきましょう。

 

ホフマンについては本書の中で詳しく言及されていますが、なじみの薄い作家です。18世紀末のドイツに生まれて裁判官となったものの、ドイツを支配したナポレオンへの忠誠を拒否して解任され、音楽家や作家という芸術家に転身したというマルチな才能を持った人物。オペラ「ウンディーネ」を作曲したり、劇場付きの音楽指揮者も務めていますが、後世には作家として名を残しています。現実と幻想とが入り混じる特異な文学世界を作り出してドイツロマン派の先駆け的な存在となり、多くの作家に影響を与えています。

 

そのホフマンの行動を妻のミーシャに報告する手記は、1804年に28歳で新婚のホフマンがワルシャワに転勤するところから、1822年に46歳で亡くなるまでの期間を対象にしています。なぜかその手記の前半はマドリードの古本屋で古楽譜とともに入手され、後半は日本の奇矯な老ドイツ文学者の家に伝わったとされており、シーボルトとの関係なども推測されていますが、そこは重要ではありません。手記に関する最大の謎は、それが誰の手によるものかという点にあるのです。

 

前半部分を入手したのはギタリストの倉石ですが、翻訳を主張したのはホフマン研究を断念した過去を持つ妻の麻里奈です。彼女が、ドイツ語准教授をしている友人の古閑沙帆を経由して、ドイツ文学の権威である本間鋭太に翻訳を依頼したことが物語の発端でした。やがて翻訳が進み、登場人物たちの関係も深まっていく中で、本間と倉石夫婦の間には不思議な因縁があったことが判明していくのですが・・。

 

「鏡影劇場」のタイトルにふさわしく、手記の中の人間関係と倉石たちの人間関係との鏡像が登場しています。そもそも「本間鋭太」なる名前は「E.T.A.ホフマン」のアナグラムですし、ホフマンが少女趣味を示した教え子のユリアと、倉石夫婦の娘・由梨亜との関連も気になるところ。そして本書の大半を語っている古閑沙帆こそが、もっとも謎に満ちている存在であることを暗示して物語は終わります。ホフマンの作品は全く読んだことがないのですが、見事に現実と幻想を混交させた本書は、ホフマンへのオマージュなのでしょう。『カディスの赤い星』などスペインを舞台とする小説で有名な著者が、学生時代からホフマンに私淑していたとは知りませんでした

 

2021/5