りぼんの読書ノート

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まっとうな人生(絲山秋子)

塩野七海さんの「小説イタリアルネサンス」の28年後の続編にも驚きましたが、本書にも驚きました。著者初期の傑作『逃亡くそたわけ』の17年ぶりの続編なのです。

 

かつて名古屋出身の「なごやん」と一緒に精神病院を脱走し、九州を縦断する逃走劇を繰り広げた「花ちゃん」は、バイト先で知り合ったアキオちゃんと結婚して10歳になる一人娘・佳音の母となっていました。躁鬱病は小康状態に入っており、時々は別人格が目覚めそうな気分もするものの、夫の郷里である富山でまあまあ普通の暮らしをおくっています。そんな折、ひょんな場所でなごやんと再会。彼もまた結婚して父親となり、富山で暮らしていたのです。劇的な再会ですが花ちゃん曰く「ただの再会」。そもそもこの2人の間にあったのは、不思議な友情でしたね。

 

家族ぐるみの交流を始めた両家でしたが、新型コロナウイルスの感染が始まってしまいます。世界中の人々と同様、富山の生活も一気に閉鎖的になってしまいます。県内では感染患者も発生していない頃から、買いだめが始まり、他県ナンバー車を怪しみ、学校は閉鎖され、会社はリモートになり、マナー警察が横行。確かに2020年春は、日本中がそんな雰囲気でした。

 

そんな中で花ちゃんは考えざるを得ません。「他者との軋轢を避けながら、周囲の人々と共に、自分の日常を大事に生きる、地に足のついた生き方」だけが「まっとうな人生」なのだろうかと。富山県民が誇る立山は眩しすぎるし、呑気な地元民や義父母にはイライラさせられるし、なごやんとの関係を疑う夫には不信感を抱くし、フェスに行くというなごやんにも苛立ってしまう。でも、まっとうな生き方とは、真面目に生きることだけではないのでしょう。「リスクを減らすことは賢明ではあるけれど、回避したことには実体がない」のですし、「正解を求めれば求めるほど、人生は希薄になっていく」のです。

 

『逃亡くそたわけ』で「しかぶる」とか「まりかぶる」などの方言が重要な役割を果たしていたように、本書でも富山弁がいい味を出しています。東京出身で現在は高崎で暮らしている著者ですが、まるで故郷であるかのように富山暮らしのデテイルで溢れています。今年の春に富山に行ったばかりですので、よくわかる。また、なごやんが書いた劇中劇の主人公たちが、飛び立つ飛行機を眺めている場面からは、『離陸』の死生観を感じてしまったのですが、「読みすぎ」かもしれません。

 

2022/11