りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

2009/3 仮想儀礼(篠田節子)

1位こそ、現代日本が病んでいるさまを「ネット宗教」という断面図から見せてくれた篠田節子さんの『仮想儀礼』にしましたが、『イングリッシュ・ペイシャント』の著者、マイケル・オンダーチェさんの到達点も素晴らしい。断片化されたコラージュのような構成が、かえって、始まりも終わりもない「物語」の本質を体現しているかのようです。

圧倒的な「普遍語」となった英語によって世界中の最先端の科学や文化が語られる中で、「国語」としての「日本語」の行く末を案じる水村さんの警鐘は、言語の「質」を維持する大切さについて考えさせてくれます。
1.仮想儀礼(篠田節子)
全てを失った2人の中年男性が、9.11テロの宗教エネルギーに触発されて立ち上げた「ネット宗教団体」が一人歩きしていきます。二重三重に架空の世界を描いているもののテーマは深くて内容はリアル。現実が病んでいる時は、精神世界も仮想世界も病んでいる。何よりも、読者の予想を裏切り続ける展開が素晴らしい作品です。

2.ディビザデロ通り(マイケル・オンダーチェ)
生まれてすぐにそれぞれの母親を失い、「双子」として育てられたアンナとクレアの物語。両親を殺害されて、アンナとクレアの兄として育てられたクープの物語。後にアンナが研究するフランス人作家リュシアンの隣人の若妻マリ・ネージュへの秘めやかな感情が、小説に昇華されていく物語。断片化されたコラージュのような物語を繋ぎ合わせるのは、この小説を受け取った読者の責任なのかもしれません。

3.猫を抱いて象と泳ぐ(小川洋子)
後年、リトル・アリョーヒンという名で呼ばれる幻想的なチェス・プレイヤーとなる少年は、深い深いチェスの海へと潜っていきます。裏側から見上げるチェス盤は、水中から見上げる海面のよう。静謐な水中から作り上げられる棋譜は、水面に揺れる光であり、浮かんでは消える泡であり、ひとつの完結した小宇宙であり、人生そのものであるかのよう。日本語で書かれた幻想小説の傑作です。

4.グローバリズム出づる処の殺人者より(アラヴィンド・アディガ)
タイトルに騙されてはいけません。本書で描かれるのは、究極の格差社会であるインドで「闇」でしかない貧民層に生まれた者が、暴力をもってしか脱出することができない現実。グローバリズムがもたらす一種の暴虐性は、「闇の暗さ」と比較するために用いられています。「民主主義が没する処の」中国首相・温家宝への手紙というスタイルは、一種のアイロニー。「標榜する制度は異なっていても、中国でも事情は一緒だろう」という乾いた笑いです。

5.日本語が亡びるとき(水村美苗)
言語は平等ではない。グローバル・スタンダードとしての「普遍語」が最上位にあって、最先端の科学・文化はその言語で語られるものであり、文学すらも例外ではありません。「圧倒的な普遍語」となった「英語」の前で、「国語」としての日本語が危ぶまれます。明治期の先人たちによって奇跡的に作り上げられた「日本語」を、生活レベルでのみ用いられる「現地語」に堕してはいけないという、警鐘の一冊です。



2009/3/31記