今や日本を代表する翻訳者の柴田さんのエッセイです。アーヴィング、オースター、ミルハウザー、パワーズなど、現代アメリカを中心とする良質なポストモダン文学を翻訳されている知的で冷静な方・・というイメージを覆す、妄想いっぱいの内容は意外でした。
柳瀬尚紀調のシェークスピアや、堀江敏幸調のランボーを楽しんでいたうちは良かったけれど、岸本佐知子調「オリヴァー・ツイスト」を読んでいたら、機関車が走っている幻覚に襲われる症例に見舞われた患者が発生。その後、藤本和子調のブローティガンからは不衛生な靴工場が、魯迅、ホフマン、ドストエフスキーからは、汚水処理場やネズミの飛び交う廃車置き場などの不快な幻覚が登場する症例が続出・・なんて発想はおもしろすぎ。
どうやら、正確すぎる翻訳がもたらした症状のようですが、柴田元幸なみの誤訳率(!)を指示できるようにした改訂版が出ても患者は増え続け、翻訳家も失業せずに済んだというオチまでついています(笑)。
「微熱の時は小川洋子の不思議な静けさに限る」なんて部分は、独特の感覚なのでしょうが、とにかく、幽霊、老化、記憶力の低下など、ちょっと変わった妄想のオンパレード。
ところで柴田さんは、最後に自分のエッセイについて総括しています。「妄想が自分のことばかりというのは、どうなのだろう」、「小説家との違いは、他人になる能力が決定的に欠けていることなのかもしれない」と。岸本佐知子さんの『ねにもつタイプ』などと読み比べてみるとおもしろいかもしれません。
2008/12