りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ひみつのしつもん(岸本佐知子)

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筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載されているエッセイ「ネにもつタイプ」の単行本化第3冊です。そういえば第1冊の『ねにもつタイプ』は13年前に読んだけれど、第2冊『何らかの事情』は出ていたことすら気づきませんでした。順番が逆になってしまいましたが、後で読んでおかなくては! 

 

「ぼんやりとしかし軽やかに現実をはぐらかしていく」とありますが、著者はむしろこだわりが強いのではないでしょうか。こだわるポイントが一般人と異なるために「はぐらかされた」という感覚が生まれるのでしょう。そしてそのこだわりは「妄想」となって宙を舞うのです。柴田元幸さんのエッセイと読み比べると「名翻訳家になる条件は妄想癖を持つことか」とすら思ってしまうくらい。 

 

運動しないで運動不足を解消する方法を考えたり、旅行嫌いなのに妄想で世界中を旅していたり、さまざまな癖を「不治の病」と読んで肯定化を試みたり、物忘れした時や判断に悩んだ時にパラレルワールドの存在を確信したり、家の外壁についているスイッチを切ったら何が起こるのかを考え始めてとまらなくなったり、著者の妄想はどどまるところを知りません。そしてその妄想は結構怖かったりもするのです。 

 

「なぜ人はディストピアを好むのか」の問いに「ある何かが失われた状況を疑似体験して、その何かの大切さを実感したいのではないか」と自答し、さらに自分にとって耐え難いディストピアとして、黒くて恐ろしい例の昆虫Gと人間の立場が入れ替わった世界を創造するのです。これだけでも十分怖いのに「なぜ巨大なGは、小さくてコソコソしている人間をこんなに嫌う」のは「やがて両者の立場は逆転するのではないか」という、一読すると人類に希望を持たせるような結びは、もっと怖いのです。 

 

タイトルとなった「ひみつのしつもん」では、ログインに失敗して「子供のころの親友の名前は?」という身元確認用の質問に答えられなかった時の恐怖感が綴られます。自明の質問であったはずの親友の名前が、まぜ出てこないのか。「とてつもなく大切ななにかに永遠にログインしそこねた」との思いには、やはり怖さを感じてしまうのです。 

 

2020/4