りぼんの読書ノート

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クライマーズ・ハイ(横山秀夫)

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1985年8月の日航機墜落事故に対する、地元新聞社の報道を巡る緊迫した状況が題材ですが、小説のテーマは「報道」というものを超えています。

墜落事故に関する全権デスクに任命された地元紙の遊軍記者、悠木和雅は、山を通じて知り合った同僚の安西と谷川岳の最難所である衝立岩登攀を予定していましたが、当然キャンセル。その前夜、安西は脳溢血で病院に搬送されていたことは、後日知ることになります。また悠木にはかつて、叱責した部下が自殺するかのように事故死したという経験もありました。

かつて上毛新聞(群馬県の地方紙です)に記者だった著者が描く報道の現場は臨場感に満ち溢れ、記者たちの必死の現場取材、スクープか虚報かを巡るデスクの決断、報道と営業との対立などが切実な問題意識のもとに描かれますが、この小説には、扇情的な事故現場の描写はありません。物語には「死」が溢れていますが、そこから浮かび上がってくるのは「遺族の思い」と「命の重さ」。それは、報道的にセンセーショナルなものであるかどうかは関係のない世界。

同僚の書いた事故現場の取材記事に涙し、犠牲者の遺書に涙し、事故死した部下の従妹の投稿に涙し、上司の心無い言動に憤り、植物状態となった安西の家族を気遣い、息子とのぎこちない関係を悔やみ、何度も報道記者であることを辞めようと思いながらも、悠木が記者であり続けることにこだわるのは、報道の現場とは「命の情報」が集まってくる場所であるからなのでしょうか。

山の初心者がハイになって一気に登り切ることがあるという「クライマーズ・ハイ」という現象は、実は怖いことだと、ベテラン登山家は言います。何かの拍子で覚めてしまった途端、その先一歩も動けなくなってしまうというのです。

新聞記者としての「クライマーズ・ハイ」にあたる大事故報道から覚めた後に、記者であることの怖さを意識しながらも記者であり続けるというのは、すさまじい意思の力と、「ザイルで結ばれた仲間」を必要とするのでしょう。そして、それは、人生のさまざまな局面にも当てはまることだと思えるのです。

2008/9