りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

メタボラ(桐野夏生)

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この本は、ワーキングプアーと呼ばれる請負派遣労働の実態を描きたかったのでしょうか。それとも、沖縄に流れてくるナイチャー(内地人)社会の実態を描きたかったのでしょうか。どちらの問題も、根はひとつに思えますが。

未来に希望を持てず、どこにも定着できず、ある時は派遣で働き、ある時は放浪の旅に出る下流社会を漂流し続ける若者たち。低賃金での労働を余儀なくされている時にはもちろん、沖縄で「自分探し」をしたり、ボランティアをしている時でさえ、誰かに搾取されている。底辺に落ちることはあまりにもたやすく、いったん底辺に落ちてしまったら、格差社会からなかなか抜け出せないようになっている現実はショッキング。

気がついたら密林にいた記憶喪失の若者が、全寮制の職業訓練所を脱走してきた宮古島出身の若者アキンツと出会うところから、物語は始まります。記憶喪失の若者はアキンツによってギンジという名前を与えられ、身元もわからないままに住み込みの仕事を見つけ、新しい人生を歩みだしたかのようです。しかし、やがて記憶が回復してくると、自分が集団ネット自殺からの脱落者であったことを思い出してしまいます。その背景にあったのは、家族崩壊の過去と、絶望的な派遣労働の日々・・。

実務能力のあるギンジはシェア住居のオーナーに認められ、彼の選挙出馬の参謀役につき、ハンサムなアキンツはホストになり、かつての天敵だった男に奪われた最愛の女性と再会。「新陳代謝」の意味を持つ「メタボラ」というタイトル通り、2人の若者は新しい自分自身を手に入れて、新しい生活をはじめることができるのでしょうか。

太陽が燦燦と輝く沖縄という明るい舞台は、こんな物語にふさわしくないように思えます。でも、この明るさが、若者たちに錯覚を起こさせているのかもしれない分、そこで起こる悲劇は、いっそう救いようのないものにも思えてきます。作者の分身ともいえるシリーズの主人公「村野ミロ」が、今のところの最終作ダークの最後で、ボロボロになって沖縄に向かったことを思い出しました。続編の構想を練っている過程で、本書が生まれたのかもしれません。それにしては、あまりにも重いテーマなのですが・・。

2008/4