りぼんの読書ノート

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通過者(ジャン=クリストフ・グランジェ)

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先日久しぶりに、著者の新作『死者の国』を読んだ際に、本書が出版されていたことに気づきました。著者が得意とする、記憶の不確かさをテーマとする物語ですが、本書の場合には背後に巨大な陰謀と個人的な確執が潜んでいます。『狼の帝国』との近似もありますね。 

 

濃霧とワインの街ボルドーで、完全な記憶喪失の男と、ミノタウロスのように牡牛の頭部をかぶせられた全裸死体が発見されます。記憶喪失の男を診察した精神科医マティアスは、犯行現場に自分の指紋が残されていたことを知って動揺しますが、もちろんそれは身に覚えのないこと。しかし彼は間違いなく犯行現場にいて、その記憶を失っていたのです。 

 

もはや自分が何者かもわからなくなった精神科医は逮捕される寸前に逃亡。彼のことをマルセイユのホームレスとして知っていたという人物の証言を頼りに自分探しの旅に出るのですが、それは長い旅の始まりにすぎませんでした。しかも警察だけでなく、彼を殺害しようとする謎の男たちに追われ続けることになるのです。さらにギリシャ神話をモチーフとした殺人が、彼が立ち寄る先々で発生していました。彼は本当に殺人者なのでしょうか。 

 

もうひとりの主人公は、彼の捜査を担当する女性警部のアナイス。マティアスに個人的にも惹かれた彼女は、捜査違反を犯しながらも彼を追い続けるのですが、彼女もまた大富豪で強権的な父親との間に精神的な問題を抱えています。そして2人の間には、思いもよらない接点もあったのです。 

 

本書のカギとなるのは「解離性フーグ(遁走)」という精神障害の症状です。単なる記憶喪失ではなく、記憶の断片から新たな人格や過去を創り出してしまうもの。タイトルの「通過者」とはその暗喩ですね。「荷物を持たない旅行者」という章で、マティアス自身がその説明をしています。 

 

本書はフランスでテレビドラマ化されたとのこと。ボルドーマルセイユ、ニース、パリ、ラ・ロシュルと目まぐるしく舞台を変えながら展開される物語はドラマ向き。そのせいもあるのか、細部に少々難があるようにも思えますが、この世界に入り込んでしまえば気になりません。773ページの『死者の国』に匹敵する、709ページの分厚い作品ですが、一気読みできます。 

 

2020/6