りぼんの読書ノート

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人生の段階(ジュリアン・バーンズ)

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「新潮クレストブックス」はほとんど読んでいるのですが、「最愛の妻を亡くした作家の思索と回想」という本書のことは辛く思えて、ずっと手を出せずにいたのです。思い切って読んで見たのですが、やはり辛い作品でした。

 

本書は奇妙な3部構成で成り立っています。第1部「高さの罪」は気球をめぐる歴史的エピソード。第2部「地表で」は、19世紀の気球乗りであった英国軍人バーナビー大佐と、気球旅行の体験談を著したことがあるフランス女優のサラ・ベルナールが恋に落ちろというフィクション。雲の上を飛ぶような夢見心地になっていた軍人は、舞台ごとに主演男優と必ず恋愛したという移り気な女優によって、最後には地表に叩きつけられてしまいます

 

そのテーマは第3部「深さの喪失」に引き継がれます。最愛の妻パットとともに30年間、夢見心地の幸福な生活を続けた著者は、妻の急死という悲劇によって地表に叩きつけられてしまいます。何事にも関心を持てずに世間との交渉を失い、自殺すら考え、それが自分の中に残された妻の記憶を消し去ることに気付いて思いとどまったものの、悲しみが去ったわけではありません。周囲からは「乗り越える」ことを期待されたり、再婚すら勧められたりもするものの、彼にとっては無意味な言葉です。「寂しさを癒すものは孤独」という詩人の言葉には同意するものの、そもそも寂しさと悲しさは違うものなのです。

 

「悲しみの一部を昇華させた」本書の執筆によっても、著者の悲しみは尽きていないようです。「深さを喪失して落下し続ける」感覚にも似た著者の悲しみには救いなど訪れることはありません。しかし不思議なことに、本書の読後感は悪くはないのです。ここまで妻を愛しぬいた夫の悲しみの深さは、全く逆説的ではあるものの、むしろ幸福と同義に思えてくるのです。「悲しみとは戦う相手ではない」という著者の言葉を、覚えておくことにします。

 

2021/2