りぼんの読書ノート

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哀れなるものたち(アラスター・グレイ)

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作者が偶然入手した、19世紀後半の医師の自伝には驚くべき物語が記されていました。厖大な資料を検証した後、この書に記されたことすべてが真実であるとの確信を得た作者は、本書を翻刻して、事の真相を世に問うことを決意する・・というのが一番外側にある物語のプロローグ。

内側には2つの物語が込められています。第1の物語は「医者の自伝」であり、そこには親友であった醜い天才医師が、身投げした身重の美女の肉体を救うべく、胎児の脳を美女に移植したとの驚愕の「事実」が記述されていました。しかも、蘇生した美女はニンフォマニアであり、世界を巡る冒険と大胆な性愛遍歴を経て、医師の妻に収まったというのです。

第2の物語は、医師の妻が遺した手紙です。亡き夫が遺した「自伝」は、フランケンシュタインなどの当時流行した怪奇本のまがい物であり、最初の世代の女性医師として活躍している妻のみならず、彼女を最初の横暴な夫から救い出してくれた友人医師を貶める「みじめなフィクション」だというのです。彼女がこの本を数十年間の封印を条件に子孫に遺したのは、哀れな夫がこの世に生きた唯一の証だから、というんですね。

外側の物語の棹尾を飾る「批評的歴史的な注」は、第3の物語とも言える内容を含んでいます。ここでは、先の2つの物語に対応する「歴史的事実」と、1914年に書かれた「手紙」以降のヴィクトリア(医師の妻)の人生がエピソードを交えて記されているのですが、どちらの物語が信用できる内容なのか、作者の「確信」に反して、決定的な判断材料は登場してきません。

ではこれはどういう物語なのでしょう。ベル(医師の妻)とゴドフリー(医師の友人)とキャンドル(医師のあだ名)と、象徴的な名を持つ登場人物たちが展開する、「19世紀に蔓延したあらゆる病的なものの放つすえた臭い」を発する物語を読ませるための仕掛けなのでしょうか。それとも、どちらの物語が真実であるにしても、結局は「暖かく揺らがないもの」を得ることができなかった登場人物たちの、ある意味で「哀れな」人生を作りあげた著者こそが、人造生命の創造者とでも言いたいのでしょうか。

「真実しか言わないし書きもしない、嘘をつくとき以外は」の精神で貫かれた、「疑惑の書」をお楽しみください。

2008/3