りぼんの読書ノート

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女王ロアーナ、神秘の炎(ウンベルト・エーコ)

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2016年に亡くなったイタリア文学界の巨匠が2004年に著した作品は、限りなく自伝に近い超小説でした。1931年に生まれた著者と同世代のヤンボは、おそらく脳溢血と思える事故のせいで、百科事典的な記憶には問題はないものの、個人的な記憶を失なってしまいました。精神科医でもある妻のパオラは彼に、子どもの頃暮らしていたソラーラを訪れることを勧めます。ずっと夫がソラーラを避け続けていた理由が、失った記憶と何か関連があるのではないかと直感したのです。

地方の名士であった祖父の館には、ヤンボが成長過程をともにした膨大な資料が残されていました。かくして戦中戦後のイタリア文化史を彩る、童話、絵本、漫画、小説、新聞、ポスター、レコードなどの莫大な資料が、読者に紹介されていくのです。大半が著者の個人蔵である膨大な図版が、カラーで紹介されているのは贅沢ですね。本書が横書きになったのは、そのためなのでしょう。

しかしこれらの資料は、イタリアのファシズムの盛衰の中で社会的自我を形成していった少年期の記憶や、ある少女への憧憬を思い出させてくれただけであり、彼の個人的記憶が損傷した理由にはたどり着いてくれません。ずっと彼の頭の中を覆っていた霧を晴らすためには、ソラーラで再度、脳梗塞で倒れる必要があったのです。朦朧とする意識の中から浮かび上がってきたのは、第二次大戦の末期に少年が犯した罪の記憶だったのです。

タイトルは、戦前イタリアで出版された、ある絵本から来ています。絶世の美女のまま2000年前から蛮族を統治している女王ロアーナは、不死をもたらす炎を守り続けているというのです。「人間がかつて思いついたもっともおもしろみのない話」とけなす作品名をタイトルとしたのは、不死性への希求なのでしょうか。それとも触れそうで触れられない真実の記憶を象徴しているのでしょうか。

ヤンボが再び意識を回復したのかどうかは、定かではありません。しかし本書の時代設定が1991年であることを思うと、その後は脳内を覆っていた霧を晴らし、著者と同様、精神的に豊饒な晩年をすごしたと思いたいものです。

2018/7