りぼんの読書ノート

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仁淀川(宮尾登美子)

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自身の分身である綾子を主人公とする自伝的小説の第4部にあたります。幼少期から少女時代を描いた『櫂』、思春期から結婚までを描いた『春燈』、満州での厳しい1年半を描いた『朱夏』に続く本書は、夫の実家である仁淀川の畔の農村で暮らした時代の物語。

 

父の岩伍が営む女衒業を嫌って実家から逃げるように18歳で結婚した綾子は、敗戦後に満州から引き揚げてきた時点でまだ20歳。「満州で過ごした日々に較べれば、焼跡で嘗める苦労はまだまだやさしいもの」と勇んで帰郷した綾子を待っていたものは、戦争でも焼き尽くされなかった農家の因習でした。働き者で評判の姑のいちから見れば綾子など、娘を生んだとはいえ、我がままで世間知らずのひよっこにすぎません。稼ぎの少ない夫も頼りにならず、自己を否定され続けていたようなこの時期は、ある意味では満州生活よりも厳しかったのでしょう。

 

最愛の義母・喜和にも会うこともままならず、慣れない農作業に疲れ果てた綾子は、結核を発病してしまいます。それを機に父と離婚していた喜和の和解がなったものの、相次いで両親ともに病死。本人も死を覚悟して、娘に遺すために日記を書き始めたことが、作家・宮尾登美子への第1歩となるのです。本書は父が遺した日記を読んだ綾子が、「青春の日をその憎悪でほとんど埋めつくした家の職業についても、自分の手で書いてみよう」という決意する場面で終わります。この時の綾子は25歳。

 

実際には父の死から『櫂』の誕生まではさらに20年が費やされ、その間に夫との離婚、再婚、上京と人生の大きな変化を経験するのですが、本書は「農村生活を描いたつまらない本」などではなく、作家・宮尾登美子が誕生する物語だったわけです。文壇デビュー後の著者の人生は小説化されてはいませんが、そこではもう「綾子」という分身は必要ではないのでしょう。

 

2021/12