りぼんの読書ノート

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宮尾本平家物語 2(宮尾登美子)

保元・平治の戦いに相次いで勝利をおさめた平清盛は、武士として栄華の絶頂を極めていきます。乱の直後には正三位の参議に、数年後には従一位太政大臣に叙せられるのです。その一方で、妻・時子の妹で後白川上皇の女御となっていた建春門院・滋子が男児を出産。後の高倉天皇です。重盛、宗盛らの息子たちをはじめとする平氏一門も重用され、滋子の兄でお調子者の平時忠が「平家にあらずんば人にあらず」と言ったというのがこの頃のこと。

 

この後も幼い高倉天皇中宮に娘・徳子を据えるなど、清盛の権勢はとどまるところを知らないようですが、著者は「清盛生涯での心身の最盛期」は、一門総出で厳島神社にて結縁供養を営んだ「平家納経」の頃ではなかったかと綴っています。数年後に清盛は病を得て出家。そして高位を独占する平家の横暴ぶりに不満を募らせる源氏や貴族勢は、打倒平氏の準備を着々と進めていたのです。いわゆる「鹿谷の謀議」ですね。公然と打倒平家を謳って挙兵した以仁王源頼政らの乱は宇治川で殲滅したものの、あちことに綻びが見え始めています。後白河法皇の裏切りに業を煮やした清盛は、ついに院政を停止して法皇を鳥羽殿に幽閉。徳子が産んだ幼い安徳天皇を連れて福原遷都を強行するに至るのです。

 

著者の「平家物語」が「宮尾本」たる由縁は、かなりの部分が女性視点からの物語であるからなのでしょう。その中心にいるのは、清盛の妻・時子です。皇室や摂関家との姻戚関係を強化して平家一門を興隆させた、時子の功績は大きいのですが、それだけではありません。異母姉妹である建春門院・滋子が産んだ高倉天皇に、実娘の徳子を入内させるまでの心の動き、徳子が無事に安徳天皇を出産した際の安堵、清盛があちこちに産ませた義理の娘たちへの微妙な思い、頼りになった長男・重盛を病で失った悲しみなども、細やかに綴られているのです。続巻以降で綴られていく夫・清盛の死や平家一門の没落は、時子に何を思わせるのでしょう。諸行無常がテーマである「平家物語」のハイライトは、ここからなのです。

 

2024/4