りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

タラント(角田光代)

源氏物語』の現代語訳という大仕事を成し遂げた著者の5年ぶりのオリジナル小説は、「キャラが勝手に動いてくれた」という力強い作品でした。主人公は、40代を目前にして無気力な中年女性になっているみのり。理解ある優しい夫、居心地の良い楽な職場、繁盛しているうどん屋を中心に数世代の親族が固まって暮らしており、いつでも彼女を歓迎してくれる香川の実家。不満はない生活をおくっているはずなのに、彼女はいったい何から逃げ続けているのでしょう。

 

物語は2019年のみのりが、20年前に東京の大学に入学してからの歩みを振り返る形式で進んでいきます。ふとしたことから海外ボランティア団体に所属したみのりは、やがてフェアトレーディング事業を立ち上げる先輩の市子、ジャーナリストを目指す玲、報道写真家を志す翔太、純粋な後輩の睦美らと知り合います。友人たちは卒業後も自分が選んだ道を歩み続けているのに、みのりが活動から身を引いてしまったのは、単純な正義感から犯してしまった「過ち」が理由でした。

 

本書はみのりの再生物語です。使命とは特別な才能なのでしょうか。道を切り開いて進んでいくためには「選ばれた人」である必要があるのでしょうか。みのりの心にふたたび灯をつけたのは、戦争で片足を失い今は実家に閉じこもっている90代の祖父・清美と、東京パラリンピックを目指す若い女性アスリートの不思議な交流だったのですが、そこを詳しく「書きすぎ」てはいけませんね。各章の末尾に短く挿入される、戦時下の兵隊の独白がやがて、孫娘にあたるみのりの人生と関わってくるのです。

 

ところで、みのりにも特別の才能はあると思うのです。それは「共感力」。ボランティアは難民や孤児たちに感謝を求めているのではないか。彼らは一様に「可哀そうな」人たちなのか。人の役に立ちたいとか、意義のある仕事をしたいというのは、勝手な思い上がりではないのか。さまざまな人たちの気持ちに彼女は気づいてしまうのです。何かをしようとしている人たちをネットで中傷する、何もしない人たちの気持ちにさえも。その才能は彼女の足を止めてしまうのか、それとも小さな使命感を抱かせるのか。ごく普通の、多くの人たちに読んで欲しい作品です。

 

2023/9