りぼんの読書ノート

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ラスト・ストーリーズ(ウィリアム・トレヴァー)

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著者の死後2018年に出版された本書は、アイルランドが生んだ短編小説の名手の、文字通りの「最後の小説」になってしまいました。精緻な人間観察と細やかな心理描写に加えて、複雑な人生を一瞬で描き出しながら余韻を残す魅力は、最後まで冴え渡っています。なんといっても、どの作品でもラスト一文が素晴らしいのです。

 

「ピアノ教師の生徒」

天才少年の悪癖に心の平穏を乱されていた女ピアノ教師はついに、才能と人格が結びつかないという真実を知るに至るのです。ラスト一文は「ようやく清算できた。それでじゅうぶんだった」

 

「足の不自由な男」

貧しいアイルランド人男性からペンキ塗りの仕事を請け負った外国人放浪者は、男性と同居していた女性の不自然な挙動に気付きます。「あの女の物語など知るよしもなかったのに、今や彼ら自身があの女の物語の一部になっていた」

 

「カフェ・ダライアで」

人気ダンスグループの女性から年上の夫を略奪したのは、同僚の友人でした。数十年後、その友人から元夫の死を知らされた女性は、彼女が同居を求めていることに気付くのですが・・。「彼女たちは恋愛がやってくる以前の、友情が好ましかった頃をそれぞれに抱きしめているのだ」

 

「ミスター・レーブンスウッドを丸め込もうとする話」

ダメ男と別れられない女性は、彼女に好意を抱いた紳士から金銭を巻き上げるよう、ダメ男から指示されてしまいます。「自責の念にかられると、自分がどんな人間かわかります。本人が知りたい以上に」

 

「ミセス・クラスソープ」

著者の遺作だそうです。妻に先立たれた男性と、金目当てに結婚した年長の夫に死なれた女性が出会います。女性は未亡人ライフを大いに楽しもうともくろんでいたのですが、もちろん思い通りにはいきません。彼女からの誘いを退け続けた男は最後に思うのです。「彼は厄介だった女性の秘密に敬意を表し、そっとしておくことにした」

 

「身元不明の娘」

家の清掃人だった天涯孤独な娘の死を知らされた女性は、彼女と親しかったような息子にはそれを伝えませんでした。しかし2人の関係は彼女が思っていたようなものではなかったのです。「もっと普通に理解できることが起きてくれたらよかったのに」

 

「世間話」

彼女につきまとっていたストーカー男性の妻が、失踪した夫の行方を尋ねて彼女のもとに訪れます。すべては誤解なのですが、これはちょっと厄介かもしれません。「誰も注目してくれなければ、勇気とはひどく滑稽な代物にすぎないのだ」

 

「ジョットの天使たち」

記憶障害を抱える絵画修復士と出会った娼婦は、彼がしまい込んで忘れていた金を盗んでしまいます。彼女は彼にお金を返して正直に打ち明ける架空の未来を何度も想像するのですが・・。。しかし彼は「自分を慰めてくれる者は天使たちしかいない、ということはわかっていた」のです。

 

「冬の牧歌(イデイル)」

嵐が丘』へのオマージュが込められているような作品です。荒野にたたずむ豪農の12歳の娘と、ひと夏の家庭教師だった22歳の男は、互いに惹かれ合っていたことを忘れられずにいたのです。やがて別の女性と幸せな家族を築いていた男が、ふとしたことで豪農の屋敷を再訪してしまったことで、それぞれの人間関係の秩序が静かに壊れていくのです。「愛はいつまでも枯れず、ゆっくり死んでいく愛や平凡な愛などはない」ようです。

 

「女たち」

寄宿学校に通う少女は、何度も彼女に接触してくる女性を不審に思います。その女性は幼い頃に家を出ていった母なのでしょうか。男手一つで彼女を育て上てくれた父親との理想的な父娘関係に、ヒビが入ってしまうのでしょうか。しかし少女は「心を慰める疑念をささやく憶測の数々を歓迎する」ほどに賢明なのです。一語たりとも読み飛ばせない作品です。

 

2021/1