りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

蹴れ、彦五郎(今村翔吾)

デビュー前の2015年に初めて書いた作品から、直木賞受賞後の2022年の作品までを含む、著者初の短編集です。著者は「あとがき」でデビュー前の作品について「少々粗があるが執筆当時の情熱も感じる」と述べていますが、決して粗くはありません。どの作品からも敗者への労りが感じられます。

 

「蹴れ、彦五郎」

彦五郎とは、桶狭間で父・義元を失った今川氏真の幼名であり、今年の大河ドラマにも登場していた人物です。武田と徳川の挟撃に逢って駿河を失い、妻・由稀の実家である北条に身を寄せた彦五郎は、己に軍才がないことをよくわかっていました。彼の才能は蹴鞠にあったのです。「才に貴賤なく、各自の才を存分にふるえる世」を望む彦五郎は、信長の前で一世一代の賭けに出るのです。

 

「黄金」

主人公は信長の孫にあたる織田秀信。清州会談で秀吉に利用された三法師です。秀吉から美濃を与えられていた秀信が関ケ原の戦いで西軍に付いたのは、家康が秀頼の処遇を保証しなかったからなのでしょうか。

 

「三人目の人形師」

江戸末期から明治期にかけて「生人形」の制作に精魂を賭けた人形師たちの物語。あまりに精巧で美しい生人形に恐怖すら感じたという著者が、ホラー仕立てで描いた異色作です。

 

「瞬きの城」

戦国中期に扇谷上杉家の家宰として活躍した太田道灌は、江戸城を築城したことで知られています。しかし彼が現在の永田町に築いたとされる「星ヵ月城」は歴史に埋もれてしまったようです。著者は、この雅な城名と山吹のエピソードを組み合わせて、美しい物語を紡ぎあげました。

 

「青鬼の涙」

幕末に「赤鬼・井伊直弼大老」と並び称された「青鬼・間部詮勝老中」は、明治には隠居生活に入っています。年老いた詮勝がひとりで郷里の鯖江に向かった背景には、どのような理由があったのでしょう。

 

山茶花の人」

謙信亡き後の上杉家に向かって勝算なき反乱を起こした重臣新発田重家には、どのような理由や大義があったのでしょう。上杉家の宰相として景勝を支えた直江兼続には、どのような落ち度があったのでしょう。後に兼続も「守るべきもの」を持つことの意味を知ることになるのですが。

 

「晴れのち月」

武田信玄の嫡子であった太郎義信は、なぜ廃嫡されて死罪に処されてしまったのでしょうか。そして北条から迎えた若妻の月音は、その後どのような生涯をたどったのでしょう。信義や同盟はたやすく破られ、敵味方が容易に入れ替わった戦国時代において、ひとつの信念を貫き通すことは命がけだったのです。

 

「狐の城」

名将であった北条氏康の四男・氏規は、姉の由稀とともに今川に送られていた人物です。秀吉の大軍を小田原に迎え撃った北条一族の中で、氏規の戦いとはどのようなものだったのでしょう。少年期をともに駿河ですごした徳川家康や、「父に似ぬ凡将」どうしであった織田信雄を頼った氏規の戦いは、確かに戦果をあげたのです。

 

2023/9