りぼんの読書ノート

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真説宮本武蔵(司馬遼太郎)

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司馬史観」という言葉が生まれたほどに、歴史の新解釈に基づく著作を多く残した著者が、有名無名5人の剣客を描いた短編集です。本書は歴史小説というより人物デッサンのような作品集ですが、「膨大な資料の中から創り上げた人物像に世界史的な位置づけを与える」という、著者の創作の要点を感じさせてくれる作品でした。 

 

「真説宮本武蔵 

武蔵の二刀流は「よほどの膂力がなければできない技」であったがゆえに「これで達人になったのは史上ひとり」であったとの指摘が、まず鋭い。甲冑をつけて葬られたという武蔵の墓は、侍大将の地位を求めながらついに得られなかった剣豪の執念の現れなのでしょうか。 

 

「京の剣客」 

京の吉岡一門には、武蔵に敗れたという不名誉な伝説が残されていますが、これは武蔵の養子となった伊織が記したもの。当の吉岡家側から書かれたものでは「相打ち」であり、しかも代々「憲法」と名乗った当主の名前も異なっているようです。ここでは当時の吉岡憲法の非凡さが描かれています。 

 

千葉周作 

江戸末期に空前絶後の人気を博した千葉道場の秘密は、合理的に剣術を教えた斬新さにあったようです。北辰一刀流を創始して道場を構える前に、上州伊香保神社に奉納額を掲げようとして地元の馬庭念流とトラブルを起こした事件の顛末が綴られています。上州から撤退することでむしろ名を挙げた判断も、いかにも合理的なのです。 

 

「上総の刺客」 

上総飯野藩の剣術指南役であった森要蔵は、「おだやかさま」と呼ばれるほどの好人物でしたが、剣技に疑念が生じると人格が変わり、諸国を遍歴するという奇癖を持っていたようです。戊辰戦争の白河で、天才児であった末子とともに奮戦の末に戦死した剣客でした。 

 

「越後の刀」 

上杉謙信が佩いていた名刀「一両筒」がたどった数奇な運命。秀吉に献上され、大阪城で秀頼の介錯刀として用いられた後に、浪人によって持ち去られていたようですこの名刀は現在も所在不明なようですが、ここでは上杉家がそれを取り戻す際に起こったとされる、一連の悲劇が綴られています。 

 

「奇妙な剣客」 

1561年に平戸で起こった「宮ノ前事件」とは、松浦家家臣・伊藤甚三郎が正当防衛でポルトガル人14名を斬殺した事件です。しかしこの掌編の主人公は伊藤ではなく、バスク人の剣士ユイズです。彼は何を目的に訪日し、なざむざむざと斬られることになったのでしょう。 

 

2020/7