『太閤暗殺』では秀吉暗殺陰謀をめぐる駆け引きを、『秀頼、西へ』では太閤の遺児をめぐる家康と島津の駆け引きを、「歴史フィクション」として描いた著者のこと。信長死後、天下が秀吉の手に落ちるまでの群像劇である本書にはどのような「仕掛け」があるのかと思いましたが、ほとんど「正史」のように読ませてくれます。それだけ巧みになったということなのでしょうか。
「中国大返し」に成功して光秀を討ち、後継者争いの筆頭に飛び出た羽柴秀吉に対し、信長の遺児たち(信雄、信孝)や、宿老たち(柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興、滝川一益)の反応は複雑です。対応は分かれますが、おそらく「秀吉ごとき」が力を持つことは、秀吉子飼いの武将意外は誰一人望んでいなかったのでしょう。とりわけ、秀吉との対決を怖れた丹羽や池田が、秀吉の調略に乗せられていく様子はリアルです。
それでも、最後まで覇権を争った柴田との対決は紙一重だったようです。圧倒的に優勢な状況を作り上げた秀吉でしたが、ひとたび勢いを失うと多くの者が離反する懸念があったことは、想像に難くありません。克家の部将・佐久間盛政の中入り、秀吉の美濃返し、賤ケ嶽での激戦を経て、秀吉が勝利したのは、前田利家の調略に成功したことが最大の要因。
ところで、この戦いで軍師・黒田官兵衛の影が薄いのは、秀吉が子飼いの武将の育成策を取ったためという推測がなされていますが、秀吉にそこまで余裕があったのかどうか。毛利に対する押さえとして外せなかったということだと思うのですが、今年の大河ドラマではどのように描かれるのでしょうか。
2014/3