りぼんの読書ノート

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家の本(アンドレア・バイヤーニ)

物語における主役は人間であり、空間は背景に過ぎないという先入観を覆してくれる作品です。本書の主役は「〇〇年〇〇の家」という見出しで語られる家や部屋であり、登場人物はひとときだけそこにとどまり、いずれは過ぎ去っていく脇役にすぎないのです。

 

しかし1975年から2020年までの45年間、一部の例外を除いて、数多くの家に出入りした人物は「私」です。つまり本書に綴られた断章を総合して現れてくるものは、「私」に委託された著者の半生なのでしょう。おむつをしている「私」が祖母や両親や姉や亀と暮らしていた「地下の家」。DV夫と耐える妻であった両親にとって重苦しい場所であった「親戚の家」。学生時代に人妻と禁断の愛にふけった「姦通の家」。結婚前の妻が病に打ち勝った「腫瘍の家」。妻と娘を得て希望に満ちた「家族の家」。家族の愛が消え去った「高級な家族の家」。長年持ちつづけてきた家具を手放した「離散の家」・・。亀やTVや自動車や駅や結婚指輪や婚姻届けなども、家に見立てられたものとして姿を現しています。

 

1970年代のイタリアを揺るがした2つの事件の舞台となった2つの家は、「私」の幼少期の記憶と国家の歴史を繋ぐ役割を果たしているようです。ひとつは元首相のアルド・モーロが監禁されて殺害された「虜囚の家」であり、もうひとつは詩人で映画監督であったパゾリーニが謎の死を遂げた「詩人の家」のこと。

 

最終章である「流れ出る記憶の家」には年代表記がありません。その家の中に広がる砂と残骸が散らばる光景は、「これまで暮らしたどの家にも、けっきょく自分の居場所を見つけられなかった記憶たちの処分場」でしかないのです。すべてはすでに遠くにあり、やがて消え去るものにすぎないのでしょうから。

 

2023/5