りぼんの読書ノート

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物語ポーランドの歴史(渡辺克義)

10世紀に起こったポーランド王国は、14世紀から16世紀にかけてはポーランドリトアニア連合王国として中欧の覇者となった歴史を持っています。現在のバルト3国、ベラルーシウクライナの大半を支配していた中世の大国であったわけです。しかし17世紀に入ると、スウェーデン、ロシア、オスマントルコの侵攻や、ドニエプル・コサックの蜂起や、王位継承戦争によって次第に国力は衰退。ついには1772年に、ロシア・プロイセンオーストリア3国によって第1次ポーランド分割が行われ、領土と人口の30%を失うに至ります。そして1793年の第2次分割を経て、1795年の第3次分割で国家消滅に至ってしまうのです。

 

ポーランドが独立を回復したのは123年後の1918年、ロシア革命とドイツ・オーストリアの敗戦によるものでしたが、1940年には不可侵条約を結んだドイツとソ連によって祖国を蹂躙されてしまいます。いわゆる第4次ポーランド分割であり、カティンの森でのポーランド将校虐殺事件、アウシュヴィッツなどユダヤ強制収容所での悲劇、終戦直前のワルシャワ蜂起の敗北などは、この時期に起きています。大戦後は再び独立国となったものの、ソ連による間接統治は半世紀以上続き、実質的な独立民主国家となったのはソ連崩壊後の1989年のことでした。

 

まさに悲劇の歴史ですが、何度も繰り返された「抵抗と挫折」がポーランド人の「不屈の精神」を生んだともいえるのかもしれません。しかし本書を読んだ印象は若干異なります。分割や蜂起の失敗には、大国に挟まれた地政学的な要因に加えて、国民国家としての統一意識の醸成の遅れという理由もあったのではないかと思えるのです。中世における中小貴族合議制(シュラフタ)や大貴族寡頭制(マグナト)は先進的要素を含んでいたにもかかわらず、国内勢力の分断と対立や国外勢力との結びつきを招いています。現代史の領域に入っても、ポーランド人によるユダヤ人迫害・虐殺やヘイトクライム、労働者の暴動や農民の反乱、指導者への熱狂と鎮静化が、何度も繰り返されているのです。

 

ブリグジットによるポーランド移民の帰国や、隣国ウクライナへのロシア侵攻などの難題が積み重なっている中で、ポーランドの有する潜在力が将来への展望を切り開けるのかどうか、今また試練の時を迎えているのかもしれません。

 

2023/5