りぼんの読書ノート

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興亡の世界史14.ロシア・ロマノフ王朝の大地(青柳正規編/土肥恒之著)

「諸民族の監獄」と呼ばれる「広大無辺の帝国」はいかに成立したのでしょう。本書のテーマは明確です。そしてそれは、ロマノフ王朝も後継のソ連邦も絶えた現代においても、問い直されるべきテーマなのです。

 

1240年にチンギス・ハンの孫であるバトゥがモンゴル軍を率いてキエフを陥落させて以来、ロシア民族が暮らす土地は「タタールのくびき」に縛られて、1480年にモスクワ公国のイヴァン大帝が大ハン国への貢税の支払いを停止するまで継続したというのが定説です。その功罪や後遺症、また「くびき」を脱出した時期については諸説あるようですが、ここで詳しくは触れません。そしてモスクワ公国の血筋が途絶えた1613年から1917年のロシア革命までロシア帝国を率いたのがロマノフ家でした。

 

およそ300年に渡るロマノフ家の治世の中で、「大帝」と呼ばれる人物が2人出ています。ひとりは1682年から1725年まで在位したピョートル1世であり、もうひとりは1762年から1796年まで在位したエカテリーナ2世です。この2人の共通点は、ロシアの領土を拡大させたことでしょう。ピョートル1世が獲得したのはバルト海沿岸地域、ポーランドの一部、カスピ海周辺地域であり、エカテリーナ2世はポーランド分割とクリミア半島の併合を行っています。もちろん内政の面でも、前者は西欧化の推進やサンクト・ペテルブルク建設を、後者は啓蒙君主としての活動を行っていますが、領土拡大があってこその「大帝」なのでしょう。

 

19世紀以降も、カフカ―ス、中央アジア、東シベリア、極東へと領土拡大のうねりが止まることはありませんでした。その結果ロシア帝国は宗教、言語などの異なる200もの民族を抱え込むことになったわけです。それは「強大なツアーリ権力」の維持には貢献したものの、その一方で戦費拡大、農業改革の遅れ、市民階級の未成熟という「社会の脆弱性」の常態化をもたらしたのでしょう。その結果のロシア革命でしたが、根本的な問題は解決されないままにソ連邦は崩壊して15共和国に分裂。旧領土の回復に異常な執念を燃やすプーチンは、国内の矛盾を放置したままで、「現代の大帝」となろうとしているのでしょうか。

 

2022/12