りぼんの読書ノート

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興亡の世界史10.オスマン帝国500年の平和(青柳正規編/林佳世子著)

オスマン帝国」について、私たちはどのような印象を抱いているでしょうか。「トルコ民族が移動してきたアナトリアを拠点としてコンスタンチノープルをはじめとするヨーロッパ地域に侵入・征服したイスラム国家」というのが、おおかたの人々が抱いているイメージではないかと思います。私も同様でした。しかし本書の著者は明快に言い切るのです。「オスマン帝国とはトルコ人国家でもイスラム国家でもない」と。それは「近代のヨーロッパ列強が自身の植民地支配構図にあてはめた姿にすぎない」と。

 

13世紀半ばにアナトリア北西部で台頭したオスマン侯国は、14世紀に入ってバルカン半島へと勢力を拡大していきます。コンスタンチノープル周辺のエディルネに得た領地を拠点として、セルビアルーマニア南部へと進出し、ハンガリー領だったベオグラードを脅かすに至るのです。アナトリアの統一は16世紀になってからであり、オスマンはまず多民族国家として出発したとのこと。イスラム教を国家統一の基盤として用いるようになったのは、やはり16世紀初頭にエジプトを征服し、メッカ・メディナの支配者としてイスラム世界の守護者となったことに始まるようです。

 

1451年に即位したメフメト2世から、バヤズィト2世、セリム1世、スレイマン1世と続く100年間は、オスマン帝国の領土拡大期であったと同時に、軍事・行政・司法制度を整備して中央集権化を進めた時期にあたります。その後はスルタンの弱体化や軍人宰相や官僚の台頭、慢性的な赤字財政など「専制国家病」に苦しめられますが、1672年にウクライナ西部を獲得して最大領土を得る頃までは拡大期といえるでしょう。

 

その後は、ロシアの南下やハプスブルク家の西進による領土喪失、エジプト・南イラク北アフリカアラビア半島における独立機運の高まり、非イスラム教徒勢力の台頭、中央集権機能の低下によって、オスマン帝国は長期衰退期に入っていきます。そして帝国の存在を根底から揺るがしたのは、1768年に始まる露土戦争の敗北でした。19世紀に入って近代的官僚国家を目指したものの、その試みは実を結ばず、第1次世界大戦後の1922年に帝国の歴史は終焉を迎えます。

 

著者は、多民族・多宗教国家であったオスマン帝国が「1つの国民」となることができず、多くの民族国家に分裂したことが、現代のバルカン半島や中東危機の根幹となったと語っています。その背景には「トルコ人が異民族を支配している」というヨーロッパ列強の視点があったわけです。衝撃的と言えるほど、あらためて多くのことを学べた1冊でした。

 

2022/10