りぼんの読書ノート

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物語オーストリアの歴史(山之内克子)

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ローマ帝国の前線基地を源流とし、神聖ローマ帝国としてヨーロッパに君臨したハプスブルク家の宮都として栄え、モーツアルトクリムトなどの音楽家・芸術家を生み出したオーストリアは、オスマントルコの侵攻、第一次世界大戦敗北後の帝国解体、ナチスドイツによる併呑、連合国軍による分割統治といった苦難にも耐えてきた国家ですが、私たちの持つ印象や情報は首都ウィーンに偏っているようです。本書はオーストリアを構成する9つの連邦州の歴史をたどるという、ユニークな構成で綴られています。

 

1.ニーダーエスライヒ(世界帝国発祥の地)

首都ウィーンを囲み北東部でチェコやスロヴァキアと接している州は、オーストリア北部を流れるドナウ川が切り開いた低地地方です。神聖ローマ帝国の初代皇帝であるオットー1世がマジャール人との戦いの末に入手した領土が、息子オットー2世の代になってバーベンベルク家に与えられた10世紀から、首都ウィーンと分離される1920年まで国家の中心となってきた地域です。メルク修道院からウィーンまでヴァッハウ渓谷沿いにドライブしたことがありますが、緑と古城が多い美しい地域でした。

 

2.ブルゲンラント(幅35kmの国境線)

国家の最東部に位置し、ハンガリーとの国境をなす細長い湖沼地帯は、第一次大戦ハプスブルク家が崩壊する中で唯一オーストリアにもたらされた領土です。多数派であるドイツ系住民の希望が叶ったわけですが、今なお他民族地域であり、隣接するハンガリーのショブロンから東欧の崩壊が始まったことは偶然ではありません。

 

3.シュタイアーマルク(オーストリアの緑の心臓)

オーストリアアルプスの東端に位置する州都グラーツから、南東部のハンガリーやスロヴェキアに向かってなだらかな丘陵地帯が始まっています。北方のアルプスと南方の丘陵が出会う森林地帯は、気候的にも文化的にもウィーンとは一線を画した固有の地域ですね。

 

4.オーバーエスライヒ(アルプスの国の原風景)

サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となったザルツカンマーグートの湖沼地帯を有する地域です。紀元前から塩の産地として開けたハルシュタットは、風光明媚な世界遺産として再び注目を集めていますね。この地域に2泊しましたが、美しい湖を囲むアルプスの高峰を満喫するには最低でも1週間は必要でしょう。第2の都市である州都リンツヒトラーの郷里であり、オーストリア・ナチズムの拠点となった過去もあります。

 

5.ケルンテン(リゾート文化と右翼政治の狭間で)

オーストリアアルプスの南側に位置するケルンテンは、北側のオーバーエスライヒと並ぶ景勝地です。南部のイタリアやスロヴェニアと国境を接しているものの、四方を2千メートル級の高山によって隔てられており、地理的にも政治的にも孤立した地域だったようです。ウィーンやEUなどの「山の向こう」への反発心が右翼の台頭を招いているとの指摘には心が痛みます。

 

6.ザルツブルク大司教たちの夢の跡)

モーツアルトを生んだ音楽祭の街として有名ですが、塩の集積地として古代から反映していた国境の街です。大司教が世俗権力を兼ねていたのはこことバチカンだけであり、「アルプスのローマ」と呼ばれていたとのこと。宗教戦争の時代にはプロテスタントの迫害も起こりましたが、現在ではホーエンザルツブルク城も大聖堂も司教館も観光資源となっています。とにかく美しい街でした。

 

7.ティロル(翼をもがれたオーストリアの鷲)

第一次大戦後にイタリア領となった南ティロルが激しい山岳戦が行われた激戦地であったことは、イタリアのドロミテ地方を旅行していた時に知りました。その一方でインスブルックを中心とする北ティロルは、バイエルンやシュヴァーベンと領有が競われた地域であり、ナポレオン戦争時代には不羈独立の精神が招いた悲劇も起こっています。交通の要所であることは難しいのです。

 

8.フォアアールベルク(西方への架け橋)

オーストリアの西端は地形的にはスイスの一部といっても良いような地域なのですね。ほかは全てドナウ川やドナウ支流であるのに対し、ここを流れているのはライン川なのです。ハプスブルク家の拡張政策の中で入手された地域ですが、何度も不要論すら起きたとのこと。もちろん現在では西の出口として重視されているのですが。

 

9.ウィーン(異文化が交叉するミクロコスモス)

モーツアルトヨハン・シュトラウスクリムトフロイトも登場しない「ウィーン史」を初めて読みました。代わりに本章で述べられるのは、「西欧東端の街」として異文化と対立・交流を繰り返してきた歴史です。東方からはゲルマン民族オスマン・トルコ、ペスト禍などに襲われ、西方からはローマ、宗教戦争、ナポレオン、ナチスなどに襲われてきた歴史が、唯一無二の街を生み出したわけです。

 

2022/1