りぼんの読書ノート

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興亡の世界史5.シルクロードと唐帝国(青柳正規編/森安孝夫著)

「文明の興亡」という視点から世界史の再構築を試みるシリーズの第5部は難解でした。6世紀末から10世紀にかけての隋・唐の時代を、シルクロードにおける遊牧騎馬民族による東西文化交流という視点から俯瞰しているのです。西洋中心主義も中華主義も広義の民族主義として排する著者は、「①シルクロード史と表裏一体のソグド人東方発展史、➁唐建国史とその前後における突厥の動向、③安史の乱による唐の変容とウィグルの活動」を中心として、この時代を叙述していきます。

 

ソグド人とは、現ウズベキスタンタジキスタンにあたる地域に居住していたイラン系の民族のようです。中心都市のサマルカンドタシケント中央アジアにおける東西南北の交通の要衝であったことで、周辺勢力の侵入や支配にさらされ続けました。しかしそのことで商業民族としての発展を遂げて、隋・唐からイラン・アラビアに至る広い地域にネットワークを築いたとのこと。

 

さらに著者は「唐は漢民族王朝ではない」とまで言い切ります。確かに三国時代後の五胡十六国時代に中国北部を支配した北魏鮮卑氏拓跋族が支配する国家でしたので、その流れを組む東魏西魏北周北斉はもちろん、隋・唐も漢民族王朝ではないのかもしれません。多民族国家というのが正解なのでしょう。

 

やがて中央アジアは、東の唐帝国、南のチベット王国、西のイスラム帝国(前半のウマイヤ朝と後半のアッバース朝)、北のトルコ系帝国(前半の突厥と後半のウイグル)によって覇権が争われる地域となっていきます。教科書的には751年に唐と大食(アッバース朝)の「タラス河畔の戦い」が決定的であったと言われますが、東西両帝国は余力がなく、実質的にはウイグルチベットが支配権を分け合ったとのこと。そして最終的に覇権を握ったウイグルによって中央アジアはトルコ化され、現在に至っているとの解釈には説得力を感じます。ついでながら自民族国家を失っていたソグド人は、トルコ系・イスラム系民族の中に融解していったようです。

 

2022/8