りぼんの読書ノート

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興亡の世界史4.地中海世界とローマ帝国(青柳正規編/本村凌二著)

シリーズ第4巻は、古代帝国の中で最も関心の高いローマです。しかし前753年の建国神話に起源を遡る都市国家ローマが実質的に帝政になったのは、シーザーの跡を継いだアウグストゥスが元首となった前27年のこと。それまでは覇権を握った文明とはみなされないのでしょうか。ローマがサムニウム戦争に勝利してイタリア半島を支配した前3世紀の時点では、地方国家にすぎなかったようです。

 

本書では、ローマの覇権は前146年に始まったとされます。ローマに先行して地中海世界を掌握していたカルタゴを滅ぼし、アレクサンドロスの後継ヘレニズム国家のマケドニアを属州化し、ギリシャ都市国家の中で最後までローマに抵抗したアカイア同盟のコリントを破壊したのが、同じ年のことなのですね。ことで、ローマの覇権が始まったというのです。

 

しかしその後のローマには内戦の100年が待ち受けていました。富裕階級が支配する元老院護民官として立ち上がったグラックス兄弟の悲劇の後、マリウス、スッラ、クラッススポンペイウスらの名将が実権を持つ時代が続き、次いでカエサルが権力を掌握してアウグストゥスに継承されるまで、ローマは領土を拡大しながらも内戦状態が続いたのです。このあたりは塩野七生さんの『ローマ人の物語(4~6巻』やジョン・ウィリアムス『アウグストゥス』など、多くの歴史家や小説家が詳しく綴っていますね。

 

その後、ネロやカリギュラなどの暴帝や凡帝や軍人皇帝も出現したものの、1世紀末から2世紀末にあけての五賢帝時代にローマ帝国は文字通りの世界帝国を築き上げます。しかしその後の混迷と不安の100年が賢帝の遺産を食いつぶし、ふたたび秩序をもたらしたディオクレティアヌスによる帝国4分割や、コンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認を経て、帝国は終焉へと向かうのです。

 

ローマ帝国滅亡の原因については、ゲルマン民族の侵入や、キリスト教徒の不寛容や、東西発展のアンバランスや、人定資源の枯渇や、気候変動など、古来から多くのことが言及されています。世界史の中で、ローマほど典型的な興亡史はないというのが、もはや定説といえるでしょう。しかし著者は、これらの要因を全て肯定したうえで、古代末期を衰退や没落と捉えなくてもよいのではないかと述べるのです。西洋文明中心の視点を離れると、人類の営みが新たな局面を迎えたにすぎないというのですが、興味深く現代的な結論です。

 

2022/7