りぼんの読書ノート

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業平(高樹のぶ子)

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在原業平の一代記と言われる『伊勢物語』は、きちんと体系だった業平の物語というわけではありません。数年前に新訳を起こした川上弘美さんも「全体を読むと、これは確かに一人の「男」の人生なのだと感じられる」と述べている程度。著者は本書を書くに際して「125章段をシャッフルし取捨選択し、時間軸の意図を通しながら物語にして行った」とのことですが、よほど業平という人物に惚れこまなければできることではありません。本書には業平という人物の「男の色気」が漂っているのです。

 

物語は15歳で初冠した業平が、祖父の平城天皇が愛した奈良の春日野に狩りに出かけ、見かけた美しい姉妹に恋の歌を贈る場面から始まります。「伊勢物語」の第1段ですね。このナンパが成功したかどうかはわかりませんが、業平の性格と、皇孫とはいえ難しい立場にあることが示されます。

 

業平は女性遍歴を重ねていくのですが、ここでは彼と関わりの深かった4人の女性について記しておきましょう。ひとりめは正妻であった和琴の方。在原氏と関係の深い紀氏の娘であり息子を生んでいますが、「伊勢物語」では印象が薄いのです。本書でも大柄な和琴には全く惹かれず、義父となった紀有常に配慮して関係を持ったと扱われているのは少々気の毒。息子の世話も紀氏に任せっきりであったようです。

 

ふたりめは母親が紀氏出身であったために藤原一族から追われるようにして、斎宮となって伊勢に下った恬子内親王。彼女に対する思いを遂げることができたのは、後に業平が右馬頭となって公用で伊勢に訪れた40歳の時でした。20年近くも秘めた恋だったのですね。もちろん禁忌の恋であり、恬子内親王が極秘裏に生んだ息子が高階師尚であるとの伝承を、著者は採用したわけです。

 

3人めは、もちろん後に二条后となる藤原高子。入内前の高子と駆け落ちして、高子が鬼に食われてしまったという「芥川」のくだりは「伊勢物語」随一のエピソード。もちろんこれは藤原基経・国経という兄たちに妹を取り返されたということ。「古今集」で一二を争う名歌である「鶯のこほれる涙」が、50歳を過ぎて右近衛権中将となった業平へのはなむけであったとの解釈は、著者の創作でしょうね。

 

4人めは業平を看取った若い女性の伊勢。著者は、業平から生涯の歌を託された伊勢が編んだのが「伊勢物語」であるとしたわけです。この女性は「百人一首」の歌人伊勢とは別人物とされていますから、もちろん著者の創作です。稀代の色男の最晩年に、彼と男女関係に陥ることのなかった女性を配した点は好ましく思えます。

 

著者が描いた業平像は光源氏のキャラとかぶる点が多いようにも思えますが、もともと「源氏物語」にも「伊勢物語」の影響を受けたとされていますので、これは仕方のないところ。それよりも、記録に残る業平の生涯を「伊勢物語」のエピソードと矛盾することなく纏め上げ、散文的な物語記述の中に淀みなく和歌を入れ込んだ技法の素晴らしさが光ります。

 

2020/10