著者が「新々百人一首」を編んだのは、「アララギ史観」に対する拒否の念からだとのこと。本書は、「『万葉集』が屹然と聳えたのち、勅撰和歌集よいう無視して差支へないものが21も続き、その時代では源実朝だけが推奨するに足る」という、アララギ派的な考え方を正そうとの気概が溢れた選集なのです。本書には、100首のうち20首が紹介されていますが、「和歌というもの、ここまで深く読めるのかという奥行きを堪能していただきたい(池澤夏樹)」という実例として、2首だけを記しておこうと思います。
雪のうちに春はきにけりうぐひすの氷れる泪いまやとくらむ(二条后)
二条后とは、藤原基経の妹で清和天皇の后となった藤原高子のこと。『伊勢物語 』では在原業平と恋愛関係にあったと噂され、後には密通の疑いをかけられて皇太后を廃された女性です(没後に復位)。著者は、少なくとも平安朝の人々は彼女のことを「業平と契りを結ぶにふさわしい高貴で華麗な女性と見てゐた」のであろうと述べています。
二条后とは、藤原基経の妹で清和天皇の后となった藤原高子のこと。『伊勢物語 』では在原業平と恋愛関係にあったと噂され、後には密通の疑いをかけられて皇太后を廃された女性です(没後に復位)。著者は、少なくとも平安朝の人々は彼女のことを「業平と契りを結ぶにふさわしい高貴で華麗な女性と見てゐた」のであろうと述べています。
この歌は、上の句で「雪なのに春が来たとは?」という謎をかけ、下の句で「鴬の氷った涙が溶けるから」と解く謎々歌の形式ですね。謎の奇抜さと美しい解き方が際立っているのですが、そもそも「鴬の氷れる涙」とは何なのでしょう。著者は、「鳴く」鳥ならば「泣く」だろうし、「涙」なら「氷る」こともあるはずという連想の巧みさをあげています。
さらに著者は、ギリシャ神話の白鳥変身譚からヤマトタケルに至る「飛翔する鳥への古代信仰」から、この歌の感傷の本質を捉えに行きます。そして「鳥や鹿や虫の泪」を詠んだ多くの歌を紹介し、最後には平安王朝期のイメージを美しく江戸文藝に蘇らせた、芭蕉の「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の解説までつけています。なんという博識ぶり!ついでながら著者によると「俳句とは歌道を俗に崩し、あわよくば新しい詩情を求める危険な手法」だそうです。
この歌は、王朝期の言葉感覚の巧みさからも愛でられます。「雪、氷、泪、溶く」という水のイメージが揃えてあること、「うぐひす」の中に「浮く」と「氷(ひ)」が隠されていること、「雪」に隠れている「行き」と「来にけり」が対になっていることなどが、それにあたります。さらに冒頭句が母音に近い「y」で始めることで字余り感を薄めているとともに、その微妙なはみ出し方は冬が少し長引いた年の気象を表しているとまで言うのですから、奥が深すぎる!
そして最後に、この歌を二条后の伝記と関連付けて「皇太后位を剥奪された私にはまだ春は来ない」との本意が隠されているとの「実情を尊ぶ新思想」をばっさり斬りにいきます。もちろん著者の空想ですが、春のはじめの気配を喜んで謎々仕立ての歌を口ずさんだ隣には誰かがいたはずで、それが業平であると解釈する方がよほど気が利いていると。そして、この絶唱と並ぶほどの返歌は業平にも難しかったために、返しは残ってないのだろうと。
本書の紹介をこれだけで終えても良いのですが、24ページも費やした二条后の歌の解釈と対照的に、わずか1行で歌の本質を突いた例を紹介しておきましょう。
2018/2