りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

土星の輪(W.G.ゼーバルト)

イメージ 1

土星の輪は、土星に近づきすぎて、その潮汐力で破壊されてしまった衛星の破片だそうです。この本に綴られた、一見脈絡のない物語群は、著者に近づきすぎて囚われてしまった歴史のカケラなのでしょうか。

イギリス南東部サフォーク地方を「徒歩で」旅し、過去何世紀にも渡るさまざまな没落と破壊の跡を目にした著者の連想は、広がっていきます。入院したノーフォークの病院にあったとされるトマス医師の頭蓋骨から、当時の医師がオランダで同席したであろう、公開人体解剖に思いは飛び、マウリッツハイスのレンブラントの絵画に言及するなんてのは序の口。(この絵、見てきましたよ。^^)

朝刊で見たバルカン半島の写真から、ヤセノヴァッツ収容所で起きた50年前のクロアチア人によるセルビア人大虐殺を思い起こしてしまい、中国に送られなかった清朝皇帝の御用列車が走っていた鉄橋を見て、太平天国の乱を鎮圧した英国軍の残虐ぶりが脳裏をよぎります。その思いは、帝国主義時代のオランダや、ワーテルローを訪れた記憶や、アフリカ大陸でのベルギーの搾取や略奪などへと続いていくのです。

一方では、ボルヘスの幻獣事典や、紀元前のエルサレム神殿の再現に一生を捧げている老人や、トマス医師の架空のコレクション目録など、誰も振り返らない往古の出来事にも、思いは飛んでいきます。表紙の写真は、波に侵食されて海中に没したダニッチの街の教会塔。かつては、海中からそそり立っているかのような姿を見せていた塔も、今では倒れてしまい、何の痕跡も残っていないとのこと。

著者は、「欧州帝国主義の墓碑銘」を刻んでいるのかもしれません。残虐さも、滑稽さも、無意味さも、渾然一体となっていたものとして・・。

2007/9