りぼんの読書ノート

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ハドリアヌス帝の回想(マルグリット・ユルスナール)

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塩野七生さん、佐藤亜紀さん、須賀敦子さんと、本書が引用された本は何冊も読んでいたのに、やっとオリジナルにたどりつきました。

死を前にして、後継者に向けて自らの人生を語るハドリアヌス。それは、病床から人生を達観するかのようなトーンで語られるモノローグ。軍で頭角を現し、先帝トラヤヌスに見出されて帝位にのぼった経緯。直後の4執政官経験者の殺害事件の真相。広大な帝国を巡察する日々。第二次ユダヤ戦争の鎮圧とエルサレム再興。後継者選定の苦悩。さらにはナイルで事故死した美青年アンティノウスとのホモセクシュアルな関係。全てが史実に基づいて語られます。

その語り口は冷静沈着。進歩的で、現実的で、内省的で、感情豊か。何より人間の理性を信じて自らを律し、不確かな存在を恃まず自らの人生を切り拓いてきた生き方は、「素晴らしい」の一語に尽きます。ローマ帝政における五賢帝の中では、ハドリアヌスが回想を書き送った相手とされているマルクス・アウレリアスが、哲人皇帝として圧倒的に有名ですが、ストイックさを強く感じさせるマルクスよりも人間としても魅力的に映ります。

でも塩野さんが書いていたように、ここに著された理想的な人格が現実のハドリアヌス帝の人格だったと思いこむと誤りなのでしょう。「古代の神はすでになくキリストはいまだ誕生していない時代」という前提自体がフィクションにすぎないと、佐藤さんも言い切っていますし。

では、ユルスナールが本書で描いたのはいったい誰なのでしょうか。どうも、彼女が描こうとしたのは彼女自身だったと思えてしまいます。少なくとも彼女が理想とし、そうありたいと希求した姿なのでしょう。彼女自身、戦争や革命を経て既存の価値観が大きく揺らいだ時代に、「ひとりの人間としてすっくと立った」生き方を貫いた女性だったのですから。

2007/7