りぼんの読書ノート

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黒の過程(マルグリット・ユルスナール)

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中世から近世へと大きく移り変わりつつあった16世紀ヨーロッパでは、宗教と科学がせめぎ合う中で、内乱や革命や異端弾圧の嵐が吹き荒れました。同時代のあらゆる知を追及した架空の錬金術師ゼノンの生涯は、既成思想が崩壊する戦後の時代を生きたユルスナールさんにふさわしい作品です。

第一部では、主人公ゼノンと従弟のアンリの邂逅と別れが重厚な筆致で描かれます。なかでも、ミュンスターでの再洗礼派籠城で思想が崩れ去るさまを目の当たりにしながら、死を迎えるゼノンの母・イルゾンドのエピソードは痛ましい。学究の道を歩んだゼノンと傭兵隊長となったアンリが中年になって語り合うのは、「より完璧ななにものか」の存在を信じようとしながらも巡りあえない苛立ち。それは、物語の全編を通じて流れ続ける重いテーマのようです。そのアンリも、無意味な戦いで無意味な死を遂げてしまうのですが・・。

第二部では、異端告発の危険を顧みず、放浪の末に故郷のブルージュに帰還したゼノンの内面のドラマが描かれます。神の沈黙に耐え切れず、無神論へと揺れる心の動きをあらわにする僧院長もまた、ゼノンと同様、紙一重のところで信仰を保っているのです。

第三部では、下らない事件に巻き込まれて自ら正体を明かしたゼノンが、異端者として告発されます。ゼノンに好意を持ち、処刑を免れるために嘘でもよいからと異端思想を取り消すよう懸命に諭す教会参事に対して、決然として「ひとりひとりが自らの信奉者であり自らの主人である」と虚偽の告白を拒む、老いたゼノン。本書の白眉の部分でしょう。

作者は、20歳の時に着想したこの小説を45年もの間あたため続け、架空の存在であるゼノンの生涯を細部に至るまで作り上げたそうです。まさに人生の伴侶であり作者の分身とも言えるゼノンが、混迷の中で誇り高く生きた姿は、ハドリアヌス帝の回想と並んで、作者のイメージと重なります。

2007/10