りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

ミドルセックス(ジェフリー・ユージェニデス)

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エイミ・タンにしろ、ジュンパ・ラヒリにしろ、アメリカに移民したマイノリティの話は、どうしてこんなに胸を打つのだろう。

カリオペは、ギリシャ人移民の3世。女の子として生まれ育ちながら、14歳になって「実は男性」と判明。「性差」も「国籍」も飛び越えたカリオペ(現カル)の心が、3世代にわたるギリシャ人一家の歴史をたどります。まるで「現代の遺伝子学がギリシャ神話の運命論と結びついた」壮大な叙事詩

トルコとの戦争で村を失い、アメリカに移住したギリシャ人の祖父母。炎上するスミルナ(現イズミール)からの脱出、そして禁酒法時代のデトロイトを舞台にして語られる、祖父母の結びつきに隠された秘密。従姉妹に恋した父と、2人の結婚に反対する祖母。第二次大戦から人種暴動の時代を生き抜いた一家。やがて、美しい少女だったカリオペに「運命の日」が訪れます。

「運命の日」を前にしたカリオペの心情描写と、「運命の日」を迎えてからのストーリー展開は、ドラマティック。膨らまない胸、訪れない生理、声変わり、そして同性への想い・・。診断結果を知り、自分をモンスターと思い込んだカリオペは、「手術とホルモン医療で、女性として生きていきなさい」との医者と両親の忠告にもかかわらず、家を飛び出してしまいます。そして舞台は、70年代のカリフォルニアへ・・。

すでに男性として生きるカルは語ります。「性の変化も幼年期から青年期への変化と比べれば劇的なものではない」と。しかし、彼(彼女)の精神の遍歴はまだ終わっていません。勤務地ドイツで出合った日系女性との恋だって、まだ進行中。そう、この話は、カリーがその女性に語る「自分史」であり、遺伝子の秘密をたどる「家族の歴史」だったのです。

深いテーマでありながら、読後感は爽やかです。これは、主人公の死をもって終わる「ギリシャ悲劇」ではなく、女たちが男たちの愚かさを笑い飛ばす「ギリシャ喜劇」なのかもしれません。読み終えるのが惜しくなる本との出合い。「わたしの名は紅(オルファン・パムク)」に続いて、今年2冊めです。^^

2005/5