りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

長く高い壁(浅田次郎)

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蒼穹の昴シリーズ」で独自の視点から近代中国史を描き続けている著者ですが、「戦争ミステリ」という趣向は珍しいのではないでしょうか。

1938年秋。従軍作家として北京に派遣されていた流行探偵作家の小柳逸馬に、不思議な要請が下ります。満州と中国を隔てる万里の長城張飛嶺を守備していた分隊10名が、全員死亡した事件を捜査せよというのです。検閲班長の川津中尉と共に現場に向かった小柳は、匪賊との戦闘が行われた形跡がないことを確認し、生き残った隊員たちから事情聴取を始めるのですが・・。

そもそもなぜ本職の捜査官ではなく、推理小説家などという中途半端な者が事件の真相究明のために呼ばれたのでしょう。軍に都合の悪い事情の隠蔽など容易なはずなのですが、そこには誰かに真相を知って欲しいという複雑な判断が働いていたのです。

戦時の軍隊というものが、普段なら出会わないはずのあらゆる階層の者たちの寄せ集めであることから起こる軋轢。2年前に起こった226事件との関係。主力が前線に異動された後の留守部隊の実態と行状。理不尽な戦争であるからこそ守らなくてはならない最低ラインの倫理。遺族への配慮。

真相を知った上で、それを秘匿する必要性にまで理解が及ぶという芸当は、従軍作家であるからこそ可能であったのでしょう。戦争の悲惨な一面を描くと同時に、作家が果たすべき役割にまで踏み込んだ作品でした。

2018/11