りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

しあわせの理由(グレッグ・イーガン)

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現代ハードSFの第一人者と言われる著者の1990年代の作品を収録した、日本版オリジナル短編集です。最先端サイエンスの先に来るものを見通しつつ、意図的に原理を歪めた世界は秀逸ですが、著者の中心テーマは人間心理であることが良く理解できます。

「適切な愛」
身体に致命的ダメージを負った夫を生かし続けるための手段は、夫のクローンが生育するまでの2年間、夫の脳を子宮で保存することでした。夫は無事に再生されたものの、妻の夫への愛情は微妙に変わってしまいます。

「闇の中へ」
ドーム状の量子論的異空間がランダムに出現するようになった世界。そこから脱出するためには、常に異空間の中心に向かって前方に向かい続けなくてはならないのですが、残り時間もランダムなのです。時間の不可逆性を空間に適用しているのですね。

「愛撫」
頭が美女で身体が豹のキメラを作り出した狂人的富豪の目的とは、何だったのでしょう。19世紀末から20世紀初頭に活躍したベルギー人画家、フェルナン・ クノップフの絵画「スフィンクスの愛撫」へのオマージュ的な作品です。

「道徳的ウイルス学者」
原理的キリスト教者である遺伝子学者が世界中にばらまいたのは、同性愛や不倫が起こると発動し、宿主を死に至らしめるウイルスでした。しかし彼にとっては軽蔑すべき娼婦から、盲点を指摘されてうろたえてしまいます。

「移相夢」
人間の脳をスキャンしロボットにコピーする際に、コピー先のソフトウェアが見るとされる移相夢は、脳が目覚めたときには忘れ去られるとのこと、しかしロボット会社は、どうして移相夢に関する説明などするのでしょう。

チェルノブイリの聖母」
20世紀に描かれた聖母像のイコンが、高額で落札された上に、死者まで出して奪われた事件の背景には、どのような事情があるのでしょう。「現代の奇跡」に翻弄される人々が描かれます。

「ボーダー・ガード」
他の作品にも登場する「宝石」なる自我の記憶によって不老不死は可能になったものの、別れは存在するのです。生きるということは、人と人の関わりがなければ無意味なのかもしれません。エネルギー位相波の存在確立を競う「量子サッカー」は、難解でした。

「血をわけた姉妹」
同じウイルスに感染して同じ治療を受けた双子姉妹の片方だけが生き残ったことには、理由があったのでしょうか。理不尽な死への怒りが描かれますが、残されたものの悲しみが根底に流れています。

「しあわせの理由」
幸福とは微量な脳内ホルモンの分泌に左右されているだけのことであり、自由にコントロールできるものなのでしょうか。リチャード・パワーズ幸福の遺伝子は、この作品から影響を受けているのかもしれません。

2018/5