りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

デイゴ・レッド(ジョン・ファンテ)

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「ディゴ」とはアメリカにおけるイタリア系移民に対する蔑称であり、「デイゴ・レッド」とは彼らが飲む低級赤ワインのこと。1909年にイタリア系移民2世としてデンバーに生まれた著者は、「犬、黒人、イタリア人お断り」との張り紙を見て育った世代です。粗暴なレンガ積み工だった父親のDVにもあいながら育った著者は「イタリア、家族、信仰」をテーマとする作品を書き続け、21世紀になって再評価されるに至りました。本書には、著者が20代の時に著した自伝的な13作の短編が収録されています。

 

「プロポーズは誘拐のあとで」

粗暴な父親に虐待されていつも疲れている母の若い日の写真をみつけた少年は、そのあまりの美しさに驚きます。少年は母のことを、悪漢の父親に誘拐されて人生を踏みにじられた美女であると夢想し、母のために涙を流します。

 

「雪のなかのれんが積み工」

雪が降って父親の仕事が休みになってしまう日は最悪です。家族に当たり散らす粗暴な男が、一日中家の中にいるのですから。もちろん、男手が必要な家事を依頼するなんてもってのほか。バケツ1杯の石炭を台所に運んで欲しいと頼んだら、貯蔵場の石炭を全部、台所にうず高く積み上げられてしまいました。

 

「はじめての聖体拝領」

白シャツ着用が求められる聖体拝領の日に、母は手術のために入院していました。祖母が父親のシャツを切っただけのみすぼらしい服は、女子修道院長に着替えるよう指示されてしまいます。もちろん父親は怒るのです、修道院長にも、祖母にも、そして病気にかかった母親にも。

 

「ミサの侍者」

少年たちは告げ口をした者には残酷です。だから盗癖のある悪童のことを誰にも言えず、しかもその悪童から盗品を渡されて仲間とみなされても告解などできません。聖ヨセフに新品の自転車を望んだのに、中古の汚い自転車しか貰えなかったことは、何らかの罰に違いないと少年は思うのです。

 

「大リーガー」

若いシスターは、野球が得意だった少年を気に入ってくれました。でも少年は、シスターが可愛い少女だったころの写真を思わず盗んでしまったのです。犯人はすぐにバレ、少年の淡い初恋はあっけなく終わってしまったようです。

 

「僕の母さんの戯れ歌

町でカーバイドを盗もうとして捕まった少年が、父親からこっぴどく折檻を受けたのは当然のこと。でも少年が犯罪を犯したことを全く信じようとしない母親には、ただただ困惑させられてしまうのです。

 

「ディーノ・ロッシに花嫁を」

かつて少年の母親に恋していた気の弱い男を、父親は皆の前でさらし者にし続けます。でも自分と関係を持った娼婦とその男を結婚させようというのは、さすがにやりすぎ。おとなしい母親もさすがに怒りを露わにしますが、それすら暴力で抑え込むなんてとんでもないDV夫です。

 

「地獄への道」

罪を犯したことを告解で詫びなかった少年が地獄に墜ちたという物語を、悪童たちは笑い飛ばします。でもその日の午後にスポーツ用品店に入った悪童たちは、さすがに何も盗みませんでした。そして「あんな話は嘘だよな」と言い合うのです。可愛いところもあったのですね。

 

「僕らのひとり」

両親に連れられて事故死した従兄の葬儀に参列した少年は、誰もが泣いている姿を見て、自分も悲しい気持ちになってきます。でも従兄の父親である叔父だけが涙を流していないことに気付いて、そのことを指摘してしまうのでした。涙も出ないほど深い悲しみなんて、少年には及びもつかない境地だったのですから。

 

「とあるワップのオデュッセイア

デイゴ」と同様に「ワップ」もイタリア人に対する蔑称です。自分の生まれを憎んでイタリア的なもの全てを避けるようになった少年が、その愚かさに気付くまでは何年もかかったようです。そのきっかけは、かつての自分の亡骸のように、イタリア的なものを軽蔑しまくる軽薄な男の惨めさに気付いてしまったことでした。

 

「お家へ帰ろう」

進学先から帰郷する青年が、この数年間に起こった家族のいざこざを思い返します。大学進学直前に両親の関係は破綻し、父親は別の女のもとに走ってしまったこと。しかし数年後に仕事も女も失った父親が戻ってきてすごすご家族と和解したこと。そしてはじめて父親を殴った青年が、自分の中に父親と同様の粗暴さが潜んでいることに気付いてしまったこと。うわべを取り繕いながら暮らしている家族と一緒に過ごしながらも、青年の心は恋人のもとへと飛んでいます。

 

「神の怒り」

結局そのプロテスタントの恋人との関係は、すぐに破綻してしまいます。きっかけは大地震でした。崩れたプロテスタント教会と原型をとどめているカトリック教会を見たことで、青年はカトリックに回帰したのですが、恋人はそんな青年には耐えられなかったのです。

 

アヴェ・マリア

ハリウッドに出て売れない映画の脚本を書いていた頃、家賃の支払いにもことかいていた青年に残されていたものは、聖母への信仰だけだったようです。かつて聖母に祈ったことでに瀕死の父親が危機を脱したことへの感謝や、少年時代に聖母を侮辱した悪友にも負けなかったことを思い出しながら、青年は聖母の好意にすがります。蛇を踏みつけ高らかに立つマリアこそ、プロテスタントの国家アメリカで、苦しみを舐めつつ生きるイタリア人移民を庇護する存在なのですから。

 

2021/5