りぼんの読書ノート

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書楼弔堂 破曉(京極夏彦)

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明治20年代半ば、出版という仕組みが生まれようとしている時代を舞台にして、「探書」に訪れる者に「一冊の本」を勧める不思議な書楼「弔堂」の物語。書楼の主人は、本とは読者を得て再生の時を待っている「移ろい行く過去を封じ込めた墓」だというのです。あまりにも博学で推理能力に長けた書楼の主人とバランスを取るためでしょうか。語り手となるのは、三十路を過ぎて失業中ながら、実家の財産のおかげでニート化している元武士のダメ男の高遠です。

「臨終」
書楼の主人は、陰惨な場面を好んで描いたとされる最後の浮世絵師・月岡芳年が、若い時代に幽霊を見たはずと言い切ります。既に死期を悟っていた浮世絵師に売った一冊の本は、彼に平安を与えたのでしょうか。

「発心」
既に尾崎紅葉の作品と出会って、彼の門人となっていた青年は、心の中に割り切れないものを抱いていました。表面が観音なら裏面は鬼神。心中の闇を覗き込まれた青年は、後に泉鏡花としてデビューするための題材を手に入れたようです。

「方便」
日本人としての西洋文化の吸収を唱え、社会教育と生涯教育を提唱する哲学家で、後に「妖怪博士」の異名を持つことになる井上圓了には、彼の理想を実現するための資金が不足していたのです。書楼の主人は何の本を勧めたのでしょう。哲学家の紹介者となるのは勝海舟。哲学家に傾倒して弟子入りした男は後巷説百物語に登場した矢作巡査です。

「贖罪」
やはり勝海舟の紹介で弔堂を訪れたジョン萬次郎の目的は、同行させた人物に一冊の本を求めることでした。自分を死人と名乗るその男とは、幕末の動乱の中で死んだことになっている岡田以蔵だったのです。岡田が処刑されたはずの時期に、ジョン萬次郎の護衛をしたことがあるとの伝承の謎解きにもなっています。

「闕如」
泉鏡花の紹介で高遠を訪ねてきたのは、後に児童文学者として大成する巖谷小波でした。大人向けの小説家としては感傷的に過ぎる作風を悩んでいた小波は、弔堂からメルヘンの存在を教えられます。児童文学というものが成立したのも、この時代だったのですね。

「未完」
書楼の主人が書物の買い出しに出かけた先は、中野の神社でした。そこの神職の名は中禅寺輔。京極堂こと中禅寺秋彦の祖父にあたる人物だったのです。とすると、彼が売りに出した書物は、山岡百介から譲られた蔵書だったはず。書楼の主人が買い取りを拒んだ一冊とは、輔の父・洲斎が安倍清明の流れを引く神社の由来を集大成しようとした本でした。

どの作品も、客の正体が明らかになって、史実とフィクションが交差する瞬間がいいですね。ここに登場人物の名前を記してしまったのは書きすぎだったかもしれません。

2017/2