りぼんの読書ノート

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書楼弔堂 炎昼(京極夏彦)

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時は明治30年代、「探書」に訪れる者に「一冊の本」を勧める不思議な書楼「弔堂」の物語。第2巻の語り手を務めるのは、女学生の塔子。書楼の主人から例外的に何冊もの本を勧められる塔子は、著者の創作のようですが、他のシリーズに登場することもあるのでしょうか。本書を通じて登場するもうひとりの人物の正体は、ラストで明かされます。

「事件」
「自らが体験した事実を読者に追体験させる文章を生み出したい」との熱意を隠さない青年は、後の田山花袋です。彼の一冊の本は、自然主義文学を提唱するゾラの『実験小説論(原書)』でした。しかし、自然主義小説を突き詰めると、「わたくしの小説」に掏り替わってしまう危険性もあるのです。一方で、田山に同行した学生・松岡國男は、浪漫派詩作に興味を失ったところでした。彼は、進むべき道が決まってからの再訪を求められます。

「普遍」
社会的主張を含む壮士演歌と、楽曲を工夫した艶唄の間で揺れるのは、演歌師の草分けとなった添田啞蝉防でした。彼と同じ悩みを、後のフォーク歌手らも抱えることになります。彼が勧められたのは、普遍的価値と時代的価値を共存させた、歌川国芳作「源頼光公館土蜘蛛作妖怪図」でした。天保改革批判という文脈が失われても、その芸術は生き残るのです。

「隠秘」
同じ現象が地域・時代によって異なる受け止められ方をする理由を探りたいとする松岡に対し、同行者の福来友吉は、両者を結ぶ普遍性に着目しています。しかしそれを自然科学で扱おうとする方向には、「超自然」という大きな陥し窩があるようです。福来は、メスメルの催眠術・動物磁気の著作を、解読キーなしで購入するのですが・・。本章の冒頭に、絶対に本を買わない勝海舟も登場します。

「変節」
修身の授業を逃げ出してきた少女・平塚ハルは、西洋主義から国粋主義への父親の変節よりも、それを家族にも強要する家父長制の論理に耐えられないようです。彼女が勧められた、高山樗牛「准亭郎の悲哀」は、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』の抄訳でした。もちろん彼女は後の平塚らいてうです。自然主義小説の「わたくし」を広げると「国家」となるという議論は、興味深いものでした。

「無常」
書楼の主人である龍典は、中将となった乃木希典とも深い親交があったようです。情の深い乃木には勤まらないとして、軍を辞めるよう進言するのですが・・。乃木への一冊の本は、三宅観瀾『中興鑑言』でした。南朝正統論を主張して、建武の新政における後醍醐天皇の得失を論じた著作です。

常世
塔子の祖父も、勝海舟も、松岡が純愛を捧げていたイネ子も亡くなります。遺恨を持っているのは死者ではなく生者であると語る書楼の主人は、「死後の世界」は生者のなかにあり、供養はそのためにあると述べるのです。松岡國男の正体が本章のラストで明らかになりますが、彼に捧げる一冊はまだこの世にはないそうです。彼が後に書く著作こそが、「彼の一冊」になるのです。

2017/7


【シリーズ第1巻】  書楼弔堂 破曉