りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

雨月物語(円城塔訳)日本文学全集11

イメージ 1

上田秋声が江戸時代後期に綴った「雨は晴れ、月が朧に照らす夜に綴った物語」の訳者として、円城塔ほどふさわしい人はいないのではないでしょうか。この作品があるので、この巻を読んだようなもの。日本的な感性と中国的な倫理観を融合させて不思議な世界を描いた作品は、極めて論理的な構成を持っているのです。ちなみに、「紫式部源氏物語を書いたために地獄に堕ちた」というのは、本書の序文にある文章です。

 

「白峰」
配流先で亡くなった崇徳院の怨霊が、彼の菩提を弔うために白峯を訪れた西行と論争を繰り広げます。敵とみなした者たちを呪う院は、易姓革命論によって自己弁護するものの、西行の王道論に敗れて、ついに私怨であることを認めます。しかし院は、異形の姿を顕にして配下の天狗とともに去って行くのでした。語り手が西行であると明らかになるまでの展開が見事です。

 

「菊花の約」
戦国時代、播磨の儒学者・左門は、旅の途中で病に倒れた武士・赤穴宗右衛門を看病し、義兄弟の契を結びます。主家が下剋上で討たれた故郷・出雲へと向かった赤穴は監禁されてしまったのですが、再会を約した重陽の日に、幽霊となって現れます。原点は中国の白話小説です。

 

浅茅が宿
妻の宮木を残して上京した勝四郎は戦乱によって足止めされ、故郷・葛飾に戻ることができたのは7年後のことでした。荒れ果てた我が家で、変わり果てた妻との再会を果たすのですが、妻は既にこの世のものではなかったのです。簡潔な表現がかえって、ダメ夫に純心を尽くした宮木の心情と、勝四郎の後悔の念を浮かび上がらせています。

 

「夢応の鯉魚」
鯉の絵を得意としていた近江三井寺の画僧・興義は、死の3日後に蘇り、檀家が鯉を料理している最中であることを言い当てます。その鯉は興義自身であり、釣られて包丁を入れられたところで目が覚めたというのです。鯉となった興義が琵琶湖の名所を巡る描写は、三島由紀夫が「秋成の企てた窮極の詩」と激賞されたとのことですが、訳者にはプレッシャーだったしょうね。

 

「仏法僧」
江戸時代のこと。高野山の燈籠堂で一夜を明かすことになった俳人・夢然の前に現れたのは、豊臣秀次と家臣たちの霊でした。連歌師の紹巴の霊から求められて一句披露した夢然は、夜明けとともに修羅の世界へ連れ去られそうになりますが、危ういところで助かります。高名な人物の墓標が林立する高野山の奥之院は、確かに異世界です。

 

吉備津の釜
吉備津神社御釜祓いで凶と判断されたものの、神主の娘・磯良との婚姻を進めた正太郎でしたが、やがて金を奪って遊女と逐電。あまりの仕打ちに寝込んでしまった磯良。その一方で、遊女は何かに憑かれたように怪死。やがて正太郎も・・。六条御息所の生霊のような話ですが、正太郎がダメ男すぎて同情心は湧きません。

 

「蛇性の婬」
美形の猟師の次男・豊雄が、蛇の化身である美女・真女児に憑りつかれる物語。紀伊から大和に引っ越しても、祈祷で払っても、妻を娶っても、真女児は豊雄を追ってきます。最後は道成寺の法海和尚に退治されてしまうのですが、むしろ真女児の一途さに同情してしまいます。彼女の正体を見破った人たちが見過ごしてあげれば、それはそれでハッピーエンドだったのではいかと思わされたのは、円城さんの脚色なのでしょうか。

 

「青頭巾」
舞台となった下野国大中寺は、私の出身地の近くなので親しみを感じるのですが、物語は不気味です。寵愛した稚児の死体を喰らって食屍鬼と化した阿闍梨の妄執が、改庵禅師によって払われるというのですから。大中寺に伝わる「七不思議」の中に、この話にまつわるものが含まれていないのは、何故なのでしょう。

 

「貧福論」
戦国時代の実在の武将・岡左内のもとに現れた「黄金の精霊」が、左内の問いに答えて「金銭を貯めることは善悪や前業や天命とは関わりなく、技術なのだ」と言い切る物語。精霊は最後に、富貴の観点から、徳川の世になることを予言するのですが、色んな意味で江戸期の物語ですね。

 

2016/8