りぼんの読書ノート

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満州国演義9 残夢の骸(船戸与一)

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癌と闘いながら8年に渡って書き続けられた著者畢生の大作が、ついに完結しました。最終第9巻では、昭和19年から21年にかけての敗戦前夜から満州国解体による悲劇的な混乱が描かれ、そして著者がかねてから「シリーズの着地点」と決めていたという「通化事件」が壮大な物語の幕を引きます。

歴史を立体的に描き出すための「複眼的な視点」としての敷島4兄弟のうち、ひとりはすでに欠けています。馬賊として満洲の荒野を駆け抜けた次郎は、前巻のラストシーンであったインパール作戦の凄惨な末路から、ついに戻ることはありませんでした。

満州国の高級官僚であった太郎は、建国時の意気込みをとうに失っており、なすすべなく敗戦を迎えます。ソ連軍によって抑留されたシベリアでスパイ行為を強要されて、卑劣な行為に手を染めてしまい、後悔の中で自死。それが、彼にとっての最後の一線だったのでしょう。

陸士卒で関東軍の花形士官であった三郎は、ソ連軍に蹂躙された開拓村の惨状を目の当たりにして、関東軍武装解除後も居留民を守り続ける覚悟を固めます。しかしそれは、虐待に耐え切れずに蜂起した3000人の日本人居留民が中国共産党軍や朝鮮人義勇軍に惨殺される「通化事件」へと至る道でしかありませんでした。

学生時代に無産主義を信奉し、後に新聞記者や満映の社員を経験した四朗は、関東軍特殊情報課の嘱託として敗戦の日を迎えます。いったんは満州に残ることを選択するのですが・・。

本シリーズの「影の主人公」的な存在で、死神のように4兄弟につきまとってきた特務機関の間垣徳蔵の正体も、ついに明らかにされます。第1巻の冒頭で引用された『会津戊辰戦史』は、ここに繋がるのですね。まあ薄々想像はついていたので、これまでもレビューの中で彼を「スメルジャコフ」と呼んでいたのですが(息子ではなく孫の世代ですけれど)。極限状態の中で最後まで人間としての尊厳を保っていたのが徳蔵であったことも、決して意外ではありません。

著者が描いたものは、わずか13年しかない満州国の興亡ではなく、明治維新後80年の間に興隆して破綻した日本の民族主義の歴史だったようです。登場人物のひとりに「欧米列強による植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない」という吉田松陰の言葉を語らせたことからも、長いスパンで歴史を俯瞰する著者の姿勢が見えてきます。「歴史は小説の玩具ではないし、小説は歴史の奴隷でもない」と語っていた著者の絶筆にふさわしい作品になりました。

2015/8