りぼんの読書ノート

Yahooブログから移行してきた読書ノートです

無声映画のシーン(フリオ・リャマサーレス)

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狼たちの月黄色い雨の著者による自伝的な要素を含む作品です。

著者が少年期の12年間を過ごした鉱山町オリェーロスの記憶が、母が大事にしまっていた30枚の写真によって呼び覚まされたというのですが、ここでは自伝とフィクションの境界はすでに曖昧になっています。「すべての自伝はフィクションであり、すべてのフィクションは自伝である」のですから。

もう名前も思い出せない同級生たち、鉱山のボタ山の前にたたずむ兄、町の映画館の前で犬に石をぶつけたこと、オーケストラがやってきた日、鉱山ストライキ前の不穏な空気、フランコが街を通りかかった際の厳重な警備、オートバイを乗り回していた青年の死、都会の大教会で父とはぐれた恐怖、蜂の巣箱の前で病んだ父親が見せた寂しげな表情・・それぞれの写真を契機として、いくつもの思い出が呼び覚まされていくのです。

「写真を契機として呼び覚まされた記憶の小説」というと、土星の輪アウステルリッツなどのゼーバルトの作品が思い浮かびますが、本書の著者は写真を見せてはくれません。しかしそれは重要ではないのでしょう。雪のごとく降り積った年月に覆われて曖昧になってしまった記憶は、写真に収まった範囲を遥かに超えて広がっていくのですから。

本書は、進学のために少年が町を出る場面で終わります。これは、同じ年齢の時に同じ目的で故郷の町を出た者として身につまされる場面です。もっとも、その後2度と故郷に戻らることのなかった著者と異なり、こちらは何度も帰郷しているのですが・・。

2012/11