「村上柴田翻訳堂シリーズ」で復刊された作品です。1940年に中国系移民の娘としてカリフォルニアで生まれた著者が、自らのルーツについて綴り、1980年に全米図書賞のノンフィクション部門を受賞した作品です。
とはいえ、本書は決してノンフィクションではありません。自らの出自について寡黙を貫いた父親を描くために著者が採った手法は、「金山」と呼ばれたアメリカを目指した中国人移民のさまざまな運命を描いていくことでした。著者の父親や祖父は、ニューヨークに密航したり、正規の移民としてサンフランシスコに上陸したり、ハワイに留まったり、アラスカまで足を延ばしたり、幻想の世界をさまよったりしているのです。
ニューヨークの洗濯屋で、カリフォルニアの大陸横断鉄道工事で、ハワイのさとうきび畑で、アラスカの漁港で働く「チャイナ・メン」は、アメリカ社会の底辺で差別を受けながら生き延びていきます。家族をつくり、家を買っても、片言の英語を覚えても、アメリカの一員とはみなさません。裏返しの差別意識は、アメリカ人のことを「白人鬼」とか「イエス鬼女」と呼ばせます。
それでも老いた母からの送金や帰国の依頼を裏切って、アメリカに留まり続ける中で、共産化された中国という故郷との繋がりは薄れていくのです。父親に過去を語らせなかったものは、アメリカに対する屈辱なのでしょうか。それとも故郷に対する罪の意識なのでしょうか。
「写真花嫁」と呼ばれた日本人女性移民たちの物語を「わたしたち」という集合代名詞を用いて綴った、ジュリー・オオツカの『屋根裏の仏さま』との共通点も感じますが、むしろ相違点のほうが際立ちます。後書きで柴田元幸さんが語っているように「北米の日系作家はリアリズムに、中国系作家は幻想的に向かいがち」ということなのかもしれません。
2017/8