りぼんの読書ノート

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戦闘機(レン・デイトン)

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ル・カレと並び称される英国スパイ小説の大御所による「バトル・オブ・ブリテン」は、史上初めて登場した戦闘機による戦争を、兵器開発や生産体制、戦術や戦略の優劣などを含めて克明に解析し、イギリス空軍に対して圧倒的な航空戦力を持っていたドイツ空軍が勝利を収めることができなかった理由に迫っています。

第1次世界大戦の終盤に登場した複葉機に代わって第2次世界大戦の主役となったのは、全金属単葉機でした。スピードと旋回性能に優れて機関銃や機関砲を搭載した戦闘機は、味方爆撃機の護衛と敵方爆撃機への攻撃手段として用いられ、その結果、戦闘機同士でのドッグファイトも増えていったわけです。メッサーシュミット(独)とスピットファイアー(英)の名勝負が行なわれたのも、この時です。

フランスを占領したドイツがイギリスへの航空攻撃を仕掛けた「バトル・オブ・ブリテン」は次の4段階に区分されるとのこと。

第1段階は、1940年の7月から約1カ月間に渡って続いた、イギリス沿岸護送船団への航空攻撃と、この間に行われたドーバー海峡上空における航空戦の期間。第2段階は、イギリス本土上陸作成の開始日(鷲の日)として予定されていた8月12日の前日に始まり、1週間余り続いた大規模空襲期間。第3段階は、8月24日から9月6日の、イングランド南西部イギリス空軍戦闘機隊基地が主攻撃目標となった期間。イギリスが制空権を失う直前まで陥った「重大局面」の時期。第4段階は、9月7日に始まったロンドン空爆時期。

どうやらドイツ空軍が勝てなかった大きな理由は、「短期決戦主義」にあったようです。ドイツ空軍の戦力と戦術は地上軍と共闘する電撃戦対応のためのものであり、空軍のみで海峡を超えて戦闘する仕様ではなかったため、航続距離を延ばす技術や継続的な生産体制が欠けていたんですね。

短期間でイギリスに勝利を収められなかったため、戦略的に無意味だったロンドン攻撃の誘惑に屈してしまったこと、さらにはやはり短期決戦での勝利を目指したソ連への侵攻に戦争の主目標を切り替えたヒットラーの短気さが一番の原因だったようにも思えます。

もちろん、レーダー網を活用した要撃体制、英連邦諸国やドイツに占領された国々からの人的支援、中立国アメリカ合衆国からの経済支援なども勝因にあげられますね。

ドイツにおけるゲーリングの大言壮語やミルヒとウーデットの対立のような混乱は、イギリスにおいても似たような状況だったようです。チャーチルやシンクレア空軍大臣の無知や、功労者のダウディングやパークを退役に追い込んだ足の引っ張り合いなどが起きていましたので。

2012/6