戦時中1943年に刊行された本書は、今でも多くの人に愛読されており、今年は新潮文庫の「第82刷」が刊行されるに到っています。
9月に奈良・斑鳩に旅行したのを機に手にとってみたところ、いきなり「古人の太子奉賛は感謝に始まって帰依に終わるが、僕らの太子奉賛は研究に始まって教養に終わる」という文章に出会って、襟を正さざるをえない思いにさせられました。思いっきり「ガイドブック片手の観光」をしてきましたもので・・。
仏像の「展示」に違和感を覚えたという著者は、飛鳥・白鳳・天平時代を生きた古代人が寺院と仏像を求めた背景を考察し、仏像の本来のあり方は「祈り」の対象として安置されることとします。
とはいえ「祈り」と「鑑賞」の両立は困難であり、「すべて古仏鑑賞には一種の厚かましさが必要かもしれない」と書いていただいているのですが、著者自身は、その両立を目標としていたはずですね。その時代からさらに70年近くが過ぎた今日では、「生きている宗教」を体感することは一層困難になっているのですが・・。
本書の骨格をなしている歴史観が国粋主義的な側面を有すること、また持統天皇や光明皇后など女性に甘いことは多くの方が指摘していますが、そこを割り引いても、格調高い文章で綴られた古寺・古仏に対する思いは、今でもしっかり伝わってきます。
2011/11