古都・奈良を巡っていると、光明皇后ゆかりの寺院や史跡が多いことに気づかされます。夫の聖武天皇に進言した東大寺の創建と大仏建立、彼女の寄進物を収めた正倉院、彼女が創建・整備した興福寺、法華寺、新薬師寺などの寺院。彼女の生誕の地に残る「光明池」という地名。美しさの中に力強さを秘めている法華寺の十一面観音像は、彼女をモデルとしたと伝えられています。本書は、時代を担った女性としての光明皇后の生涯をたどった物語。
『蜩ノ記』をはじめとして、ストイックな武士の生き方を題材とすることが多い著者が、なぜ光明皇后なのでしょう。「光明」という名前に籠められた使命を果たすべく、幾多の困難を乗り越えていった女性の姿が著者の理想形であったことに加え、この時代の主人公が女性たちであったことも理由なのでしょう。奈良時代の大半は、元明・元正・孝謙(称徳)という女性天皇の治世であり、病弱であった聖武天皇も光明皇后に支えられていたわけですから。
藤原不比等の娘として生まれた少女は、父親からは「闇を払う光となれ」と光明子という名前を授けられ、母親からは「この世を鎮め穏やかならしめるのは女人の力」と教えられて育ちます。忘れてはいけないのは、この時代の天皇政権は不安定であり、藤原氏と反藤原勢力の勢力争いも激しく行われていたこと。どうやら不比等は、天皇位の兄弟相続が元凶であり、光明子によって皇位継承争いを排除して欲しいと考えていたようです。
本書における光明皇后は、首皇子(聖武天皇)の妃となることを運命づけられながら、膳夫(長屋王の子)や弓削清人(道鏡)らと出会い、心を通わせていきます。長屋王の乱、疱瘡の流行による藤原4兄弟の死、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の乱、藤原仲麻呂の専横という激動の時代を、彼女はどのように生きたのでしょう。皇族以外から立后した初めての女性として、彼女はどのような理想に向かったのでしょう。著者は本書の出版に際して「この国を造った〈女帝の世紀〉を知ってもらいたい」と述べています。皇位継承問題を考える一助としての読み方もあるようです。
2020/7