りぼんの読書ノート

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船に乗れ(藤谷治)

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音楽一家に生まれてチェロを学ぶ津島サトルの高校生活を描いた青春音楽小説ですが、彼は音楽の道に進むことなく普通の会社員となったことは冒頭で語られてしまいます。またその過程で、後悔に苛まれるような行為をしてしまったことも明かされています。つまり読者は、本書が「青春の挫折の物語」と知った上で本編を読み始めるのです。

ストーリーは、シンプルです。ヴァイオリニストとしての才能がある同級生の女性に恋をして、辛い別れを経験して、その時の辛い感情から信頼していた教師に対して卑劣で手ひどい行為を働いてしまい、それでも仲間たちと真剣に取り組んだ発表会を成功させるものの、自分自身の才能に限界を感じて音楽の道をあきらめる・・というだけのものなのですから。

にもかかわらず、本書は魅力的です。ひとつは、少年の揺れる心が「内省的に」描かれているからなのでしょう。この本が、主人公が数十年後の地点から当時を振り返ったとの体裁をとっているのは理由があるのです。高校生のナマの激情や独りよがりをストレートにぶつけられたら、読むに耐えない本になってしまったでしょうから。だから、最後に登場する「人生という船は波に揺れて船酔いをする。船酔いはいつかなくなるだろうが、揺れはいつまでも続いていることを忘れてはいけない」なんていう教訓的な言葉も嫌味に聞こえないんですね。

もうひとつは、音楽の世界が丁寧に描かれていることですね。音楽一家に生まれた主人公は、素晴らしい音楽を聴く才能はあるのです。それに加えて、音楽と向き合って生きることの厳しさと楽しさを感じる能力も。それがかえって、演奏家としての自分の才能に見切りをつけさせてしまうのですが・・。

本書に対して「女性が描かれていない」との批評もあるようですが、このストーリーで女性をしっかり描いたら、少年のひたむきさが薄れてしまうのでは? というか、南枝里子のような女性は現実の存在ではありません。

2010/10