りぼんの読書ノート

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魔群の通過(山田風太郎)

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幕末の水戸藩で、尊皇攘夷派と佐幕派とが武力で対立した「天狗党事件」を、山田さんは「日本史上唯一の内戦」と位置づけています。幕藩体制を支える御三家のひとつでありながら、尊王思想を提唱した水戸国学の総本山でもあるという、ともに譲れないイデオロギー上の争いがエスカレートすると、こういうことが起こるわけです。そういえば、スペイン内戦にもイデオロギーが大きく絡んでいました。

天狗党事件の凄まじさは、筑波山で挙兵し、後に那珂湊に立てこもった攘夷派が旗頭とした藩主名代を失って、幕府の率いる諸藩連合軍の前に敗勢色濃くなった後から始まります。天狗党の首魁・武田耕雲斎や藤田小四郎らは、水戸藩から一橋家の養子となった慶喜卿に尊皇攘夷の志を訴えようと、約1000名の残兵を率いて京都へと向かうのですから。

もとより周囲は全て敵。厳冬の季節に峻険な山越えを繰り返す、想像を絶する悪条件の中を、今でいう栃木県、群馬県、長野県を通って岐阜県までたどり着き、京都まではあと一歩。しかし、頼りの慶喜卿が自ら討伐軍を率いてくるとの情報を得て、福井へと反転。そこで彼らを待っていたのは、やはり慶喜卿の命を受けた討伐軍であり、最後には敦賀で無残な処刑を迎えることになるのですが・・。

しかし、それでもなお、物語は終わらないのです。当時死罪を免れて、数年後の明治維新によって謹慎を解かれた元天狗党員は、戊辰の役で今や賊軍となった旧水戸藩士に復讐の刃を向けるのです。本書は、武田耕雲斎の息子で当時12歳の武田猛氏が「後年になって当時を語る」との体裁をとっています。人質として「長征」に参加させられた女性らの描写も交えて、少年の視点から語られる「大義」が、いかにむなしいものだったか。後に『明治小説集』で「正義の国家はありえるか」と主張したほどには明快ではないものの、テーマとしては共通するものがありますね。

ところで天狗党の過激派は、筑波山で挙兵する前に、栃木市外の太平山に籠ったことがあり、土地の商家から資協力を断られた腹いせから、栃木の町を焼き払ってしまったそうです。私の故郷でそんなことがあったんだ・・。そんなこと、郷土史でも学びませんでした。

2010/5