生涯を持つ8歳の息子「森」と、38歳の父親「森・父」に「転換」が起こります。「森」は「8+20」で28歳の寡黙な青年となり、「森・父」は「38-20」で18歳の思春期に戻ってしまうのです。2人は「転換」という奇跡が起きたことに対して「使命感」を抱きます。まるで、盗塁を期待する「リー、リー」の声援に背中を押されるピンチランナーのように。では、彼らはどんな行動をおこすのか?
もともと原子力技術者の「森・父」は、過激派による核物質強奪未遂事件の際に被爆して休職中。その関係もあって「人民の手に核を」のスローガンを掲げる反体制派と結びついているだけでなく、その女性リーダーとは不倫しており、さらに、右翼の大物パトロンに原発に関する情報を流して小遣いを稼いでいた、インテリ崩れの複雑な男なんですね。
宇宙人こそ登場しないものの、山中に籠る武装革命組織「ヤマメ軍団」や、四国の「義人」や、『万延元年のフットボール』に登場した「愛媛の山奥の村の御霊」なども現れて破天荒な展開になっていくのですが、根底に流れているのは、障碍を持って生まれた著者の息子「光」に対する再生への希望です。
大江さんは、「『個人的な体験』ではじめたことはすべて、『ピンチランナー調書』で終えた」と述べていますが、息子「光」を『白痴』のムイシュキン伯爵のように純粋な存在であるとして、息子の存在自体が現実世界への批判となっていることを望むかのような一連の作品が、大江文学のひとつの到達点であることは間違いありません。次は未読の『個人的な体験』に挑戦してみましょう。
2010/3