りぼんの読書ノート

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図書館 愛書家の楽園(アルベルト・マングェル)

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「空間の征服」と「時間の超越」とが、人間が古代から抱く2つの欲望だそうです。前者は「バベルの塔」として、後者は「アレクサンドリア図書館」として、具体化の試みがなされたものの、どちらのプロジェクトも完全な存在にはなりえませんでした。ボルヘスの高弟でもある著者が、その知識を縦横無尽に用いて、実在あるいは架空の図書館について語った本書は、書物と知識の迷宮に読者を誘い込んでくれます。

ます、章立てがいいですね。図書館が有する意味とは「神話」であり、「秩序」であり、「空間」であり、「権力」であり、「形体」を有し、「偶然」の産物でもあり、「仕事場」でも「心のあり方」でもある存在。「孤島」にすら存在しえて、その不在ですら「影」としての存在を感じさせるもの。「生き延びた本」もあれば「忘れられた本」もあり、理想の図書館は「空想」の産物でしかない。そして最後には「帰る場所」でもあるのです。

博識の著者が列挙する事例は、あまりにも多様です。アレクサンドリア図書館、パニッツィの図書館改革、ラブレーボルヘスによる想像の書物、デューイの図書分類法、ヴァールブルクの図書館、フィレンツェのラウレンティーナ図書館、敦煌莫高窟、「薔薇の名前」の僧院の図書館、コロンビア農村部のロバの巡回図書館、強制収容所の図書室、世界の著名な図書館、グーグル・プロジェクトなどのバーチャル図書館・・・。

しかしながら、実例を見れば見るほど、図書館とは「混乱」に「秩序」をもたらそうとする不可能な試みであるとの思いが強くなってきます。ある意味「記憶と図書館は同義」であり、古代から現代までの全人類、さらに未来に生きる人々の記憶を秩序立てて整理するなんて、もはや神の領域に入り込んでいくかのようなもの。図書館とは「宇宙」なのです。

では、ありとあらゆる検索を可能とする「ウェブ図書館」は、不完全とはいえ理想に近づこうとする試みなのでしょうか。著者は、「画面上に呼び出されたテキストには過去がなく、どこまでも現在でありつづける存在は悪夢である」として、現代人は「過去が滅びゆくさまを目の当たりにしている」と、ウェブのみが生き残ることには否定的です。著者は電子媒体そのものを否定しているのではなく、あくまで「紙と電子媒体の共存共栄」を願っているのですが・・。

ただし、です。本書のタイトルを『自室をめぐる旅』としたかったという著者の思いは、「秩序」にあるのではありません。むしろ「喜ばしい混乱」の中にこそ、抑圧された人々の文化と歴史をも包含する叡智が潜んでおり、それを発見する楽しみが存在すると言いたいのでしょう。そのことは、自分のささやかな読書体験からも、ささやかに実感しえるものでもあるのです。どんなに秩序立った図書館からも、自分の意識が向かない本を見い出すことはできず、どんなに混乱した情報の中からでも、何らかの本と巡りあうことはできるのですから・・。

2010/3