19世紀末から20世紀はじめにかけて『タイムマシン』や『宇宙戦争』などの空想科学小説を著して「SFの父」と呼ばれる著者が、自伝的要素を織り込んでコミカルなタッチで描いた作品です。しかし本書は、フェビアン協会に参加して人権擁護活動を行っていた著者らしく、当時の社会に対する抗議の書でもあるのです。
主人公のアルフレッド・ポリーは、貧しい商店主の家に生まれて服地商の徒弟となります。繊細な魂とロマンチックな創造力を持ちシェイクスピアやラブレーなどの古典を愛するようになりますが、満足な学校教育を受けていないため語彙はめちゃくちゃだし、書物のテーマの理解も混乱しています。ここまでは著者の少年時代と大差ないようですが、この後のポリー氏の人生は、奨学金を獲得して科学師範学校に入学した著者とは大きく離れていくのです。
ポリー氏は父が死んで残したささやかな遺産をもとに紳士服店を開き、高嶺の花の少女にふられた反動で従妹のミリアムと結婚。しかし商売も結婚もうまくいかず、深い教養も高潔な人格を身に着けることもないまま15年がすぎてしまうのでした。そして35歳になったポリー氏は、倒産寸前の商店と不満たらたらの妻を抱えた人生に絶望し、ある決心をするのでした。自宅に火を放って剃刀自殺をして、生命保険と火災保険を妻に残して不毛な人生に幕を下ろそうと。ここからポリー氏の起死回生の冒険が始まるのですが、そこまで書いてしまってはネタバレですね。
イギリスを代表する国際的な作家となった著者ですが、下層階級のなまりを克服することはできず、上流階級出身者から軽蔑されることも多かったとのこと。階級社会であるイギリスで階級の壁を超えることの難しさが、本書には反映されているのです。コミカルな前半と冒険活劇のような中盤を経て、思いもかけない静謐なエンディングを迎える本書は、著者の最愛の作品だそうです。
2021/6