りぼんの読書ノート

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宵山万華鏡(森見登美彦)

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毎年7月に1ヶ月に渡って行なわれる祇園祭のクライマックスは、山鉾巡行。「宵山」とはその前夜。祇園囃子の鉦と笛太鼓の音が鳴り響き、露店も立ち並ぶ中、鉾や山の飾りや屏風などを町屋に飾りつけて披露する祭りのことですから、まさに妖かしと現実とが入り乱れるにふさわしそう。

本書は「宵山」の晩を舞台にした6編の連作短編集、というより、互いに関連し合う3つの出来事をそれぞれ「表」と「裏」から眺めた物語から成り立っています。

祭りの雑踏で姉とはぐれた幼い妹の不安を妹の視点で描いた、冒頭の宵山姉妹」は、妹を探し回る姉の不思議な経験である末尾の宵山万華鏡」と対になっていますが、間に挿入されている別の4つの物語があることによって、単なる視点の違いだけでなく全然違う景色が見えてくるんですね。

友人・乙川から宵山に招待してもらったものの、宵山法度違反の罪に問われてしまい、屈強な男たちに捉われて、羽子板を振る舞妓や、般若心経を唱える大坊主らの間を引き回される宵山金魚」はきらびやかで謎めいています。でもこれは、友人をからかうために乙川が仕組んだ大仕掛ということで、その舞台裏をのぞき見た宵山劇場」で、一旦は種明かしがされたように思えます。

しかし15年前の宵山の晩に行方不明になって永遠の宵山に遊び続ける幼い娘と、年に一回宵山の晩にだけ再会できるという父親の物語である宵山回廊」宵山迷宮」が登場するに至って、直前の種明かしの意味が霞んでくるのです。

なにしろ古道具屋の代理を勤める乙川が探していた水晶玉は、人ならざる者の持ち物である万華鏡の一部であり、宵山の夜は、この世界の外側にある万華鏡から覗かれた世界だというのですから。

最終章の「宵山万華鏡」に登場する舞妓や大坊主は、ヘタレ学生たちなのか、それとも・・。京都の宵山の晩は、まさに、妖かしと現実とが入り乱れる舞台としてふさわしそう。行ってみたくなりました。でも混雑は苦手です。連れの手を離してしまうといけないことが起こってしまいそうだし・・。

2009/11